-----no.10427----2013年02月03日(日曜 10時09分、朝 )------

御成。
去年の末の本。
今やっとだ。
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扨、読了・・いや見了・・感想。
まず、定義からだが、・・
武士の上下を再認識の為である。
この本は尾張徳川としてあるが、それは、
吊古屋で開催されているからと言える。
英文を訳すと、御成のための宝だ。(Treasures for the Onari)だ。
図録だから、宝が満載。国宝の数もまだ数えていない。
武家将軍は鎌倉からで、そこまで遡る。
本格的な御成は足利室町からだ。
日本の武士は、国を統一しているようで統一していない。
江戸時代、秀忠でさえ、まだ主従関係を再確認する必要がある。
反旗を立てない約束が、御成と言える。
将軍を招き、接待する。お土産に家宝の刀を差し出す。
こう、定義して良い。
が、家光以降、単なる遊び旅行だ。
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将軍家にとり、尾張徳川家は、何時から、身内から、親戚になったか
二代秀忠と尾張初代義直は兄弟、家光になるとおじさん。
この辺りから以降、親戚だろう。
家康形見分けも一番もらったのだろう。
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宝が一杯だ。
足利義満あたりが唐物を集めて、それが伝わり、
信長、秀吉辺りを経て、家康から尾張に来る。
見方によれば、尾張はそれ自体、博物館で、
公開するのは、将軍だけであり、後は保管するだけと言える。
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宝は唐物だけでない。
茶では、利休なども受け継ぐ。
天皇の宸筆などもある。
雪舟、定家、なんでもある。
戦国時代、武士は宝をあさり、それを家康に献上して、
出世したのだろう。
秀吉経由もあるが、わかるやつ、例えば、藤堂家など、
早い時から、家康に直接でしていたかも。
その辺り、説明をよく読めば見えてくるかも。
が、図録の説明でも、経由がわからない物が多い
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扨、右図は誰でしょう。秀忠。
下絵らしい。この方が、人物が見えるかも・・
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話はそれる。最近、町の古文書で、沢田家が出てきた。
あかつきの小袖がある。
これのいきさつだが、源敬に欲しいものはと聞かれた話がある。
金でも土地でも・・と、言う話は、個人的には、下々(しもじも)の想像と思う。
藩主がどれだけ散財してきて、沢田家がどれだけ散財したかが問題と思う。
沢田家が、鎌倉時代の吊刀でも差し出せば、土地をもらったかも??
緒川藩でも立て、独立したかも。が、そんな物は献上出来なかったと、私は読んだ。
上は勝手な私の独断である。もう少し時期や、金銭を調べるべきだ。・・・

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