--no.10659--2013年02月24日(日曜、12時20分、もう昼、--

土曜の午前の、ダブりで欠席。
厚かましくも無料で頂いた。
残っていたという。
この講習申し込み締め切りは当日だった。
翌日はキャンセル待。資料を求めた人も多いだろう。
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資料を寝床で拝見。
先生作成はA4が2枚。
後は参考文献。
この参考文献で、水野勝成の作がある。
つまり・・水野日向守覚書・・だ。
これの最後を見ると、奥書がある。
  寛永五子二月以友人蔵本書写之・・とある。
次に
  天保十二年・・
次に
  明治三十五年八月・・
と。
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資料はその前に、
  家忠日記。
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それと、
  寛政重修諸家譜巻第三百二十八がある。
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どういう訳か、
 知多半島北部地図
これが意味上明
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写真は余り関係ない。東浦の新吊所の桜。
と、今話題の役場も一周してみた。午前黒い車が並んでいたと、
ゴミ捨てに行った人が言っていたが4時頃は何時もの通り。
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さて、ここからが本題に入る。
これは、勝成の話ではない。
信元の行動分析の話だ。
それで、講習に目的が理解できる。
信元の行動は、信長の考え方に左右される。
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義元は永禄三年。そして、天正年間、信元、信長と逝く。
逝った人を、長寿の人の言葉で想像する。
これが講習の目的の様だ。
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講習に出てない者が、まとめるのもおかしいが、
結局、歴史としては解明されない。
すると、文学の世界に近い。
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そう言えば、箸墓古墳(北西方面から) が、今、話題だ。
位置 北緯34度32分21.34秒・東経135度50分28.42秒
所在地 奈良県桜井市箸中 ・形状 前方後円墳
規模 全長278m、高さ30m ・築造年代 3世紀中頃
被葬者 倭迹迹日百襲姫命(宮内庁指定)、卑弥呼説あり
出土品 特殊器台形埴輪、壷形埴輪
史跡指定 宮内庁指定(倭迹迹日百襲媛命大市墓)
俺の意見は、卑弥呼であり、天照でもある。
が、今の意見で、ただもっと調べろと想うのだ。
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閑話休題。
信元の場合、直接の資料も無く、
関連ありそうな物で、調べている。
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先生の意見を聞こう。
桶狭間である。
非上洛説は同感。
海上制海権の確立と言う事だ。
これは面白い。
が、当時の海運状況の説明がない。
秀吉が、北条氏攻めで多量に使用したのは有吊だ。
北条はそれを甘く見た。それが1590年(天正18年)
桶狭間は永禄3年5月19日(1560年6月12日)は30年前。
各地で夫々、相当な船が有ったと考える。
福祉大は、江戸時代が多いが、天正ころの海運も報告が欲しい。
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信長は清須、津島等、海運を良く知るはず。
知多半島は、廻りが海。水野はベテランの船頭だろう。
村木も、亀崎も常滑も長尾もみんな海が見えた。
この方向で、信元をもう一度振り返ろう。
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多分、講習の内容とそお、外れていないと想う。
そお考えてくると、信元は智将である。
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出席者を探して意見を聞こう。