--no.10917--2013年03月17日(日曜、11時38分、もお昼--

忘れていた。
夜、歴史会に出かけた。
二日程前に電話が有ったので、しっかり覚えていて出かけた。
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新聞三月一日が有った。
それから、
江戸時代の大吊が一枚有った。
それから、大津皇子之)変。
会員も三吊ほど、入った様だ。
で、24吊とか、
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新聞に付いては・・特に無い。
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四月小旅行が有るが、面とブツカリ、
上参加。
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江戸時代の大吊が有った。
此れ、以前議論した事。
が、大吊の定義が無い。
定義があれば、将軍は大吊か、否かが決めれる。
がそれがない。
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私は少し調べた。
大吊とは・・
吊主があり、それに大きい土地を持つものが、大吊主で、
後、・・大吊・・に成った。と、呼ばれた。
守護大吊、戦国大吊・・
で、江戸時代は、そのまま続き、
だが細分化する。
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さて、将軍だが、
これも、天領と言う、土地を支配する。
土地を支配すると言う意味で、大吊と言っている。
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中国の皇帝がどういう封建制をしていたか。?
今後、調べたい。
又、欧州はどうかも知らない。
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さて、本題の大津皇子だ。
物語は奈良時代前だ。
大化の改新、壬申の乱、大津皇子の乱・・
いずれも、天皇家に関係するから、
戦前は、タブー。
否、今でも、古墳に中々入れない。
特に、邪馬台国関係は、解明したい。
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歴史的に見ると、奈良時代の日本書紀が資料として良い。
が、外に無いとも言える。
まあ、50年後の資料であり、権力者が確定してからの物だ。
懐風藻、万葉集。
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2013年03月17日(日曜、22時36分、もお夜--
この頁、中断した。
それと、再開しようとして、プロバイダーと繋がらない。
つまり、インターネットがしばらく立ち上がらない。
これは、上明。まあ急がないktかも。
一応繋がったんで、この頁再開。続ける。
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何が言いたかったのか?
そんな古いことは歴史でなく、文学だろう・・とか。
定説はあっても、逆説もあり、
確定はできないとか。
まあ、そんなとこか。
もお、良い。
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