--no.11140--2013年04月06日(土曜、14時24分、--

さて、午前の話。
半田のガイド。
何とか、雨は降らなかった。
ラッキー
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まだ、時間が有るつもりで着いた。
最初の写真は、8時51分。
だが、もう、受付を片付けると言う状態。
資料は片付けた袋から頂く。
ユニホームと其の下にWindブレーカーをきる。
俺、ガイドする方・・だが、そんな意識はまだない。
で、料金も要らないし・・小さいことを言う男だ。
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多分三班であろう。
当然最後のグループに加わる。
半田山・・いや、雁宿山・・
今、立派な公園。桜が花筏・・否・・花蓆か。
ここを、町に寄付したのが、中埜さん。
いい事をした人だ。
大体が、戦争記念碑。・・南吉もあるが・・
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石碑が多い。
個人的な意見だが・・・
過去を振り返る場所と考える。
明治帝が此処に来たかどうか議論すべきではない所だろう。
歴史としては、亀崎に話がある。が、人が桜を愛でるにはそこより、
ここが良い。そう言う風に個人的結論は出ている。
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日露戦争の碑がある、書は乃木という。
又、大正三年とか、。
乃木は殉死しているから、大正三年に書いては居ない。
忠魂碑・・と書く。乃木は・・兵・・を何と考えていたか・・
殉死だから、天皇に対する気持ちは強い。
だが、兵に対して、天皇の所有物と考えていた様な・・
その人が・・忠魂・・と言う???
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前にも書いたが、明治帝がここから衣浦を見たと考えていない。
その後の町が、そうしたいと考えている。
中野さんの力、中央集権化の勢いと考える。
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明治から大正へ。
明治帝から南吉へ。
南吉は此処に置きたくない。
南吉はあるではないか
岩滑に。
平成天皇夫妻は此処へ来たか。
素通りして、西の南吉へ行った様だ。
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此処は、桜を見て、戦争を反省する場所で良い。
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個人的な感慨が過ぎた。
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水道の話。
愛知用水で、ここも終わった。
未だにこの手の遺跡は時々見る。
阿久比の山にも、円柱をよく見る。緒川新田にも山の上に円柱のタンクがある。
石作りの古いものは、確か、姫路でも見た。豊田あたりでも、古城跡で見たような。
・・長く残して欲しいが・・荒れていた。
石組みも、少し調べて欲しい、何か特徴があるのか。
無ければ、荒れるのか。。容量とかは残れば実感出来る機会も有ろうが。
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この山以外は、半田高校。
往復する。
校門脇に校歌、歌い始めは、
一番、朝明けの衣浦に・・
二番、柊の園に集いて、
三番、雁宿の丘の夕に・・
・・
ただ、作者は書いてない。何時頃からか・・
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高校内に入るが、
半田校生は南吉を何と考えているのか。
先輩としてはどうだろう・
まあ、あこがれの先輩と言うより、
悲劇、短命の先輩・・程度だろうか。
今の半田校生の日誌は、・・余は・・とはかかないだろう。
俺は・・俺・・と書いているが・・
小生は・・位か、・・・
中には一人位・・朕は・・と書く人がいても良いが。
いないだろう。
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この辺り・・柊・・由来は上明・・
又、校門前の道は狭くて両側耕地だったらしい。
そう卒業生が言っていた。南吉の時代は本当に南向きが正門だったかは疑問。
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11時前には駐車場に着く。
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