--no.11307--2013年04月25日(木曜、05時54分、--

夜は眠たく、今は、朝。
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水曜は天気が良く、その朝は、木曜の天気が雨の予想だった。
出かけるのはこの日が良いと朝決定。
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行き先は、東海道二川。
それを朝になって調べる。
二川は前前から思っていた。
愛知の街道と言う冊子を見た。
それと、先日のJR歩きの人に、二川駅前から来た人が居て、
岡崎とか、豊橋は、何度か行ったが、二川は行ってない。
それに、ガイド仲間に街道を盛んに歩く人もいるし・・。
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愛知県である。気軽に行こう。
町のバスを調べる。
緒川駅経由で、刈谷までいけるはず。百円で。
朝の、ラジオ講座も聞いて、すると8時半。
すると、マルスでは8時55分。少し遅いが、近いから・・
バスは、通勤ラッシュ並の満員。
隣の人に驚きを伝える・・バス会社は儲かるだろう。
緒川駅乗り換えもスムーズ・・
これが、帰りも・・と錯覚した。。それは後で述べる。
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東海道本線・・豊橋までなら吊鉄だが、其の先までだから、JR。
何も調べてないが、実にスムーズ。
蒲郡辺りをJRでは初めてかも。
この列車の車窓の楽しみは・・
・・屋根より高い鯉のぼり・・探しである。
数年前からこの言葉・・
屋根より高い鯉のぼりは・・死語かと疑問に思っている。
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農家の子供は町で独立する。農家の夫婦は、孫と同居しない。
団地の屋根の鯉のぼりは、ほとんどベランダ横で、垂れた鯉のぼり。
農家の広い庭に立てた鯉のぼり・・は・・
之を探すのは、藁屋根を探すのより難しいかも・・
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豊橋から、二川へもスムーズ。10時45分頃着。
あまりにも静かでびっくり。
俺は、街道と言う線だけの旅で無く、少しは面として訪ねている。
駅前に信号は有る。それと、駐輪屋がある。が外に何も無い。
コンビニが無い、喫茶店が無い。飯屋が無い。
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陣屋に向かい歩く。この道がすぐ狭く成った。
と言う事は、これはほとんど江戸時代のママ。
車も時々通るだけ。
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幕末、慶応から150年経つ。
150年と言えば、一世代30年として、五世代。
その五世代が代々住んでいるようだ。
そんなはずは、無いと思う。
中には時々、更地も有る。が・・・
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陣屋前で、やっと、元宿屋の吊札がかかる。少しは変わっているようだが。
教科書販売店とか、肥料屋とか、このあたりが、明治を感じる。
が、昭和の感じが無い、喫茶店がない。
いや、床屋は有ったがまさか百五十年の伝統があるはずない・・いや有るかも。
江戸時代は、髪結いで・・と答えるかも。
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11時10分から、12時37分頃まで、ゆっくり拝見出来た。 まあ、貸切状態。誰もいないし・・ 立派すぎる。五月人形もあるし。
上段の間も拝見した。草津のを見たときは人も多くて狭いと感じたが。 誰もいなければ、広い感じもする。
だって、座って、御茶を飲むだけ、時々、厠へ行くだけ、 風呂は一回入れば充分だし・・ 上段の間に二畳の畳。
駕で座って来て、此処で又座れと言うらしい。 式台まで駕が入れば、歩くのは20歩程か、 これでは、足が萎える。
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資料館も立派にできている。が、街道の説明が多すぎる。
二川宿に関しての資料が、もう少し欲しい。俺は、図録を求めた。1000円。
少し見たが、これも、東海道とか、五街道とか、二川宿自体が少ない。
もお、無くなったか・・確か本陣は三代あり、その交代は火事が原因としてある。
資料は焼けたと言える。
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