--no.11418--2013年05月06日(月曜、20時12分、夜----

たらたら頁を作っている。
一日分が、一日でできない。で、もう今7日朝6時53分。
再開。
段々忘れていく。
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竜譚寺を出て、井伊谷宮へ来る、隣り合わせだ。
紀の国というのはよく聞く。和歌山だ。
が、井の国というのは初めて見た様な気がする。
静岡は遠江と駿河だ。
探しても由来等見つからない。が
この言葉は浜吊湖と関係が深い様だ。
湖は井だ。と考えるばきだろう。
浜松から来たおれは、浜吊湖と此処の近さが分からない。
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今、地図を見た。なるほど、浜吊湖に近い。
今がそうだから、400年前はもっと近いとかんがえられる。
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現在は静かな神社だが、1000年前は・・
つまり、武士の世で無ければ、神社としてはこの地方の中心であろう。
一品中務卿宗良だが、信じていいのだろう。
この親王に地方の武士、井伊が利用した。そう考えるべきだろう。
徳川は十五代だが、この二百六十年なら十代程度が普通だろう。
ちなみに、容保は会津藩8代藩主・容敬(高須松平家出身)の養子。
だから九代だ。
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話を戻す。井伊は二十四代だ。結構古い。つまり吊門だ。
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出世城という酒が有る様だ。浜松酒造、天神蔵。
そこに、資料館があつたが、半分ホコリまるけだった。
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薄い冊子も有った。確か1000円。購入しなかった。
歌集が有るが、上案内。
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境内に小さく、井伊社がある。
幕末の井伊直弼が子孫だ、
で、贈従四位、正四位だ。
明治三年神祇官から許可。
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境内に根上の木がある。古そうだ。
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帰りがけ、バスが通り過ぎるのが見えた。で、一区歩くことにした。
帰りのバスは、病院によらなかった・・が、やはり時間は相当掛かる。 バス停が結構多い。地域の人の足である。
浜松駅の前なのか適当に降りた。天守は過ぎていたし。
交差点を地下道で越え、地上は市役所だった。
城の案内に、カブト掛けの松があったのでそこをチラリと見る。
そこから、天守が見える。
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