--no.11418--2013年05月06日(火曜、09時04分、まだ朝----

浜松城、登城。
が、どこから城に入ったかが問題だ。
バスを降りたらそこはもう城内かも。
市役所や小学校は城内だろう。
外堀の中に小学校があるのは有ったが、ここにはその堀が消えている。
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この城をどう定義しよう。岡崎を想像していたが違う。
家康には、岡崎の次の城だ。岡崎は城下町だが、・・
岡崎に比べ、浜松は前線基地といえるのだろう。
武田信玄との三方ヶ原の戦い当時は、開け無く。
城下もなかったと思った。東を攻める為の砦だろう。
信玄として、城を落とすのに時間が掛かるとみたのだろう。
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石垣だが、野面積みだ。、
元亀3年12月22日(1573年1月25日)と言えば、信長は小牧から岐阜時代。
小牧にもそれなりの石垣が最近発掘されている。
浜松のこの石垣は、多分もう少しあとだろう。が、元は少しは石垣もあったと思う。
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天守内に居たガイドに聞くと、堀尾時代の石垣らしい。
信長が西を攻めていたと同様、・・見習ったのか、
家康は東へ、城の作りがそれを感じる。
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ガイドの話でもう一つ印象は、
昭和33年天守建築に際し、資金上足で、小さく成ったと言う事。
なるほど小さい、が逆に石垣がみえて嬉しい。
地下に井戸、新しく改装されていて・・吊古屋城と比較が難しいが。
存在だけで考えればいい。
天守と言うイメージより櫓と考え、物見と持久戦と考えればいい。
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浜松城は初めてだから、少し周囲を歩こうとも思ったが、完全に、公園であつた。
家康像がある。若い・・とかいてあるが・・そう若いとも見えない。
徳川家康は29歳~45歳までの17年間を浜松城
元亀元年(1570年/29歳) 姉川の合戦
元亀三年(1572年/31歳) 三方ヶ原の合戦
天正三年(1575年/34歳) 長篠の戦い(設楽原の合戦)
天正九年(1581年/40歳) 高天神城の攻略
天正十二年(1584年/43歳) 小牧・長久手の戦い
像で見ると40才前後だろう。
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ホテルと駐車場まで下り、又国道沿いに上り、次に町内へ廻る。
坂は下りだ。東海道とも書いて有った。
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浜松には目に付くビルが有る、タワー的だ。
500円で登る・・もう此処に登ることは無いかも。
上には、窓とトイレと、結婚式場があるだけだった。
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ビルを下ると4時半過ぎ。音楽博物館は遅すぎる。土産を買って帰る。
帰りは速い。刈谷からバス。イオンは薄闇の中。家につくのは真っ暗。
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