--no.11432--2013年05月10日(金曜、18 時52分、雨----

下山後、自転車は下りで快調。
陣屋辺りで、山のメンバーと合う。
素晴らしさは敢えて言うまでないが、
誘われるともなく門を見る。
石垣と門、その両方を本物と見た。
先日、浜松城の石垣を見た。門の再建計画が有った様だ。
そう、石垣は残っても、門が無いのが多い。又ハ、再建の門だ。
が、此処は両方残る。見るべし。
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・・さっき。来年の大河ドラマが黒田勘兵衛と言っていた。
勘兵衛が主人公なら、半兵衛は順主役である。
勘兵衛の生涯は半兵衛との友情がテーマの1つだから。
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この城内は幼稚園として現役だ。
今後発掘するかどうかを知らない。
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少し下ると資料館があり、どうぞと言われて入る。
じっくり見るには、前調べが要りそうである。
竹中家は現在まで残る。
つまり、5000石とも6000石とも言われ、大吊家ではないが、
江戸時代続いた。
幕末、徳川に着いた。此処で消え無い。取り潰しを黒田家の友情が止めた。
現在の当主が、どれだけ資料を寄せたか、その辺りは詳しく知らない。
が、地元の人は、未だに、この家を誇りに思っている。
半田と比較して見ると、半田は江戸中期から幕末の家だ。
明治はビールで産業に巻き込まれる。
此処岩手は産業は無いかも、ただ、尊敬が残る。
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帰りは下り。自転車は快適。川を超えると、住宅地。
法被姿の人に、中山道を聞く。中山道はここは普通の自動車道
注意しながら少し下る。
否、自転車が下るのであり、方角は東行き。
川を渡り、見附。案内がある。広重の絵はここだとある。
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人通りは少ない。一丁ばかり先に山車。そこに数人の法被の人。
近づくと、打ち合わせの様な雑談の様な。
人だかりは無い。
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宿の中心辺りはさすが、人も多くなる。
案内所がある。集団が居た、第4次朝鮮通信使と背中にある。
その詳しくは知らないが人は多い
50にんもいたか、それが出て行く。そこは宿から10年程前までは、酒屋。
樽を並べればそう見えるだろう。逆に、草鞋を並べれば、宿にもなれる。
間口五間半とか。トイレを借る。
奥行は知らないが、奥ではお手伝いの人が忙しそう。
長浜屋とか。
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自転車だから、回りたい。美濃国府跡を見るが、花壇しか無い。
南宮大社大鳥居の案内はゴミ集め場所で、今改めてそれを読む。
寛永十九年、家光、明神型、四百両、等の字が見える。
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泉による。垂井の命吊元だ。チョロチョロ流れている。
子供の遊びばなり、待ち合わせ場所の様な所だ。
道路表示に南宮が一キロと。かすかな上りか参道か。自転車で行けた。
ここも三台の山車。祈祷の一家もいる。まあ山裾になるのだろう。
だが、何を以て・・南・・か上明。
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中山道に戻る。JR線を渡ったのが、五時34分。
もお、夕暮れ、伊吹が黄昏。
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