--no.11784--2013年06月14日(金曜、05時23分、--

このページは9日。日曜。
地図で見ると此処は長春の北部。駅の南西である。
すると、此位置は当時のままと考える。
当時とは昭和10年頃。
行ってみて、地図を探し分かった。
機能として、当時鉄道だから、駅で降りすぐ。
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入口でチェック。
まず、まっすぐ北でなく、少し西よりへ。
ここに馬場が有る。
高級市民か練習している。
又、次のゲートのその北に車庫。ここも、高級官僚の匂い。
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入場の時間帯か、人が結構多い。
が、中国語バカリ。で、日本語は控えるムードである。
此処は、中国内でも相当な有吊地の様だ。
思うに、日本人が広島、長崎に行くようだ。
ただ、これは国家政策の匂いもする。
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が、だ。
説明を見ると、中国語の下、英語、其の下、日本語もある。
が、日本人が俺ら以外居ない。俺等同様、黙して居るのか。
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先ず、岩絵具の門や天井飾りが目立つ。
その次、黒レンガだ。それからいろんな部屋が続く。
先ず説明板の部屋があり、その辺りはまだ改修されて
余り時間が経過して無い模様。
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奥に入るほど、豪華になる。
つまり、溥儀皇帝使用関係なんだろう。
が、日本陸軍使用の関係とも言える。
傀儡・・偽・・この意味を測り兼ねる。どこを見れば傀儡なのだろう。
それには、北京を見て、比較しなければ、できない。
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彼自身の家来が居ないのだろう・・多分、。
家来と呼べない日本陸軍だけがいたのだろう。
たとえ彼に1000人の家来が居たとして、それを閲兵する場所は無いと感じた。
が、形式としての皇帝の設備は有ると言えるのだろう。
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応接間等は、日本軍の使用だろう。
個人的な意見はそんなところだが、それは日本人の平均の意見と思う。
が、
中国人はどう見ているのか、
単に古い豪華な建物として見ているだけと思える。
日本人が明治村を見るのと同じと思える。 なぜなら、今止まっているホテルの方が豪華で、どんな人民もそこを通れる。
一万日本円をだせば泊まれるし、冷蔵庫もクーラーももっと機能的だろう。
・・・ところで、人民朊はもおどこにもないのだろう。テレビ以外。
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只、政府の意図、そこに日本語が有るから、日本人の見物を意識している。
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