--no.11976--2013年07月03日(水曜、06時00分、--

今、雨。今日3日全国的に雨らしい。
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昨日、午前。東浦町歴史。会。
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早めに行った積もりでも、既に多く来ていた。
この日は、珍しく前方の席を確保。
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と、同時に、先生が登場。
で、始まつたのが、幡随院長兵衛。水野十郎左衛門。
・・内容は間違えたか。。ついに先生も・・
では無い。
前日、東京で墓を見てきたと言う。
水野氏講座である。
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盛んに、水野氏の血を言う。
婆娑羅らしい。。今は前田慶次の方が人気だが。
慶次は漫画家が火付け役らしい。
長兵衛もその口で、歌舞伎か読み物辺りが火元で、
昭和の俺には馴染みが無い。
少し調べると、事件は江戸初期だが、歌舞伎は明治
幡随院長兵衛 元和8年(1622年) -明暦3年7月18日(1657年8月27日)
水野 成之   寛永7年(1630年) 寛文4年3月27日(1664年4月23日)
1881年(明治14年)10月東京春木座で初演。
こんな話・・何処まで歴史で、どこから文学やら・・
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墓も初代のものかどうか・・
吊古屋の平和公園についても何か言っていた。
そう言えば・・まだ、宗春の墓を見てない・・
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定時に成、講習始まる。
豊臣家の存続だが、夏の陣の一ヶ月前は・・
できれば存続をと、家康は考えていたと言う事。
これがメインテーマ。
家康は喧嘩はしたくなかった・・そういう男だ。
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その根拠が・・仕合わせ・・だ。 為合わせ・・とも。
今、俺の蔵書見てみる。
信長公記巻四、叡山御退治の事・・で、
  数千の屍、算を乱し、哀れなる仕合わせなり。
と、ある。
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もう一ッの気になりだが、松平姓。
前田家文書に慶長十六年がある。
 ここには、松平土佐守だけで、松平姓はほかにない
加藤肥後守、浅野紀伊守、
さて・・松平と言えば、山内土佐が、幕末まで迷う容堂が見える。
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追伸・・
板垣退助が八重の桜に出てくる。当然、土佐だ。
次回の山本八重はどうなる・・
薩長とは違う。
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