--no.12027--2013年07月07日(日曜、0九時48分、--

画像と文がずれて居る。
悪しからず
画像は受取資料関係。
次回読むであろう。
文は、この日の学習内容。
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先ず、この日は車を停めたら、椊木の根をほっていた。
樹木医と言えるかも、
聞くと、土が硬い様だ。
木に勢いが無く成長しないらしい。
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沢瀉は毎週見ている。
大分、葉が茂った・・
が、次回までには、花は咲かないかも。
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次回は今回受け取った、寺社の往来許可証文。
一枚物。
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今回は、前回の続き・・つまり、京都で出した、三十三観音の残り。
人の手紙を覗くのだけど、、ほとんどは前回同様日程表。
最後に十三行程度の私信がある。
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家族向けならば、これだけで充分。
俺が家族に出す葉書ならこれで充分。
では、前の日程表はなんで書いたか。
それを参考にする関係者が居たと考えたがどうだろう。
宿泊費用など、今なら、カードで銀行から金を引き出せる。
それに似た制度が、あったかも・・
決済は帰ってからとか・・・
そこらへんの事情次回、きくべきだろう。
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我々と比較したい。
海外旅行でも四泊五日とかその程度。
60日位するのが、本当の旅かもしれない。
明治に鉄道が出来、このあたりから旅というものが変わった。
60日の旅、毎日がご馳走とは言えないだろう。
風呂に入って、寝れば、翌日は又、二十キロ程度は歩くのだろう。
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京都の地図、宿の宣伝だろうが、
今と誰か比較して欲しい。
この地図、明治か、幕末か・・
===============d20130705古文書東浦起.mem========== //
-----明治六年三月-----西国三十三参り--------- //
------------p01上-------------- //
六日二、原谷村とまり // 七日二、二番之紀三井寺 // 参詣いたし、八日朝より //
和歌之浦を見物 // いたし // //
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夫より、和歌山
御城下、所々、けン物
岩出村二、とまり、九日
三ばん粉川、拝礼
いたし、夫より四拾八瀬川
を越ェ亭、宮之内村より
槇尾ま帝、山路也、
八時頃より
大窪峠六拾八丁也、
紀州、河内、和泉、三ヶ国
之境也、夫より、槇尾迄
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五拾丁之間、人家、無之
下り坂也、甚、難所に而
人にも合ズ、実二心
ボソキ事二候、ようようと
暮方二槇尾北室院
江、着、致二候之処、
風呂も無之、甚、難
事二御座候。十日、朝二
拝礼い多し、槇尾之
寺より、五拾丁下り亭
せばた村へ、出、段々、通行
いたし、泉州さかい
之、駅に而、壱泊、十一日二
大阪へ八ッ時頃二、着、致
十二日、十三日、三夜とまり
十四日二、藤井寺、とまり
十五日、十六日、二夜、御所村二
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とまり候、十七日、夜者
初瀬寺之町二とまり
十九日、宇治之里二、とまり
二十日二、石山へ、参詣
いたし、右、石山駅二亭
壱泊、二十一日、大須、
三井寺へ拝礼いたし
夫より小関越ヲ
いたし、京都三条通り
秋田屋権兵衛へ、着いたし候
先々、是迄之道中
無別条候間、安心二
思召、可被下候、先者
   早々 已上
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四月二十二日、認
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追啓、申入、火之元
用心等、心懸候様、被致候
申迄も、無御座候得共
田畑蒔物等、万事
心配り、可致候事、
おとく江も、よ路し具
右之段、申入候様、可致候
存外、かか様にも、足も
達者に而、通行、致候間
安心二おもひ候様、是又
申入候、いづ連、来月
中旬ならでハ、帰宅
出来、かたし、被存候
         以上
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