--no.12126--2013年07月18日(木曜、18時42分、--

17日午前は、ガイド研修古文書の勉強。
たっぷり二時間。
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先生としては、古文書の学習者を増やしたいとも思える。
私もそう思う。
2次資料や、三次資料より、原本を読めば、
鮮明に、解明された事、されてなく想像の事
その区別ができる。
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写真は、水野家の家系を書いている。
松平が、何家とか、水野の殿様より。
尾張のそれも、知多半島の痕跡は面白い。
水野の三百石の藩士が安産祈願をしている。
水野籐兵衛。代々籐兵衛とか。
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沢瀉が元気が良い。
1説に依るとジャンボサイズの沢瀉が本当《だという。
それは、田んぼに影響アリだが、このサイズは田に影響ないと。
でも、俺はこれが本来の沢瀉と考える。
どうか。
大きいのが原点なら、水野家は農民出身で、武士の弓矢の発想がでない。
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閑話休題。
資料1。地蔵尊。
奉繕、享保十四年己酉・・
   知多郡英比庄村木・・
    浜島惣助
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休憩の時、先生に聞いた。室町の頃の作ですか・・と
先生は、その点、一切感知しない・・と。
1729年だ。約三百年前。
丁度、緒川新田に人が住む頃。
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この図録確か、10年頃前か、東浦に付いて知ろうとしたとき、
真っ先に求めた。
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発見されて、権威を付ける・・という説だ。
慶長九年に堂に紊ルとする。
私はここまでは紊得する。
関ヶ原以後、平和になりそうで、堂も建築できる。
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問題はそれ以前だ。信長の天正の頃、佛は多くは隠されたとも思う。
隠されていたなら、海から出てきても良い。
で、俺の説、佛は戦国時代には戦禍を避け、隠された。
が当然、村人は知っている。
だから、平和になったから、慶長九年以前掘り出し祀る。
風雨に晒すこと数十年・・風雨をさけ数百年・・
この部分は、言い伝えだと推測、言い伝えは、誇張される。
つまり、恵心だ。伝恵心。真贋は別で、信仰はそれで良い。
伝恵心作。言って良い、これは言うべきだ。
只、認定されてないので、恵心作とは言わない方が良い。
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資料2。緒川新田。移住十二家。
明治二十年の竹内孫右衛門家の当主が調べた。
調べられた古文書の原本は無い。
が、妥当だ。と考えられている、おれもそう思う。
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資料三。常夜灯。
是れも明治二十年頃の話。
井野安右衛門・・藩士でなく、御用商人。
明治二十年という時代背景を注意。
この人、刈谷村・・とある。
では、刈谷藩は・・・廃藩置県は明治4、5年頃。
明治二十年は・・調べる・・
明治二十二年頃、刈谷村は刈谷町となる。
此頃こそ、坂の上の雲を見つめていた頃・・
常夜灯はもう江戸時代の遺物かも・
値段も円==両・・とも言えないだろう。25円、三円は云々しない。
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移転前の場所だが、浜と言うより、街道だろう。
そのほうが、ふさわしい。この辺り、湊はもっと南下している筈。
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塩だが、文化年間も現役である。
紊得出来る。江戸時代まで、現役だからこそ、平安始めの生路塩が記憶に残る。
現代は無い。資料館にあるのみ・・否、まだ、地吊にあるらしい。
神塩浜。やさき。・・とか。
熱田神宮と塩の関係は何れいつか・・
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資料九、決しょ高、下し渡し・・は以前古文書で・・
資料十、鷹狩りとか、御林とか
資料11、止め山の下草刈
資料十二、巡礼。
資料十三、白砂糖、返済金。
このあたりは此処では意見は言わない。
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古文書・・殺人事件。
A三1頁で紹介。
これは、三面記事。
この文章を選んだ先生、古文書のファンを増やしたいと考える。
ただ、これは地図があり、古地図と比較すれば、被害者がわかるかもとやら。
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全くの興味本位ながら、俺の推測を少し。友吉の後家さんはまだ若く美人。
で、定三郎は、言いよった。が、後家さんを狙っていた男がもう1人居た。
で、犯人は二人の話を聞き、まとまりそうなので、つけて行き殺した。
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後家さんの供述が無い。被害者は即死では無いから、何らかの目撃証言があるはず。
その辺りを考えると、小説がかけそう。・・天保殺人事件・・
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