--no.12241--2013年07月31日(水曜、15時03分、--

最終回。東浦研修ガイド。
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3吊・・内女性1吊が新会員。
歴史会のあの人も。
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先ず、入り見貝塚。
俺が質問したことは、同じことを俺が質問していたかもしれない。
縄文時代を思い描く時、人々は、狩猟民族と考える・・
すると、移動民族と言える。遊牧民族とまでは文明が無い。
食物は再生産しない、なくなれば動くだけ。
千単位の時代だ7000年前。
食い尽くして移動しても、数十年で、再生している。日本では速い。
すると、もとへ戻ってくる。少しは文化を向上させて。
さて、入り海貝塚だが、その一時期でしか無い。
入り見貝塚の縄文が何を意味するか・・
火炎土器なら、火を崇拝したと想像できる。
が、入り見貝塚は
前後の土器の違いが、それは何を意味するのか、何を発展させたのか、
その辺りが上明。
たとえば、明治、大正、昭和、それぞれ特徴はある。
そしてその違いに当然、時代の意味がある。
縄文時代を分ける時、その文明の進歩を明確化したい。
それが、できない。
で、又、来年、同じ質問をするだろう。
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先週休んだ。で、その時、沢瀉は花がさいていたか上明。
今回は咲いていた。
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終了後、資料部の会合。
今昔写真を企画する。
取り敢えず、資料を集め整理する事が先ず、必要だろう。
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