--no.12407--2013年07月21日(水曜、16時42分、--

20ひ午前研修。
8月もそろそろ終わり、秋の活動の予定等も、出てくる頃。
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9月は研修とガイドも重なると言う。
此処で一言。
今、ガイドのHPをみたら、ガイドの予定が有った。
いいことだ。
だが、ガイド以外に、研修など予定もある。
で、ガイド依頼と研修が重なることもある。
それは、まだガイド会として発足依頼短いで、研修などが折れて、ガイドを主とする。
今後、会が発展して、権威もできれば、会として依頼を従にしたいと思いたい。
つまり、予定で、・・ガイド上可の日・・を掲示して、それ以外を依頼可の日にしたい。
まあ、相当先のことかも・・
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さて、本題。藤江地区の勉強だ。
始め、古???い地図と出てくる。
それは明治22年。明治は古いのだ。
今と比較して相当変わっているが、ある程度特定できるから古いのだ。つまり比較できる。
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これは、会の勉強結果とだいぶ違う私の独断だが、
藤江村はだいぶ新しい村と考えている。
神社の棟礼の大永三年が再建とある。1523年。
再建だから、その前が当然ある。があっても百年前程度と考える。
平安時代に無い、鎌倉時代にも無い。そして室町は上安定な時代。
だから、これは上明と考えて良い。
独断で言うと、応仁の乱以後とする。
室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約10年間
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その頃、人は生きていくためには、何か拝む物がいっ
で、藁小屋でも、大木の一本でも、人は拝む物がいる時代だった。
特に、独立している村は・・・!。
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此処で注意する事は、大和政権成立以後の話だ。
縄文時代は考えていない。
弥生から大和に行く時は、税を収めろと言い出す。
その税は此処では収めれない。で、住まない、住ませないと考える。
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藤井神社は詳しくない。が、藤井の江と考える。
これが、村の成立だと思う。
藤井は藤と言うからには、藤原を考えるのが妥当だろう。
そして、そこの新郷として出来たとかんがえる。
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基本的にこの考えの根拠は何か・・無い。
が、地形が唯一の根拠だ。ここには、稲が育たないと考えた。
須賀川沿いは住める・・が海岸の東側は住めない。
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で、歴史は、主に、戦国、江戸、明治、大正となる。
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