--no.12485--2013年07月31日(土曜、11時01分、--

日立行きの時、購入の本。
今、見ると、非売品とある。
発行時期、昭和50年。
相当前になる。
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色々、感想がある。
日立という言葉。
ひたちは、日立か常陸か。
常陸という言葉はいま薄れてきているか。
話は変わるが、今年の高校野球の優勝はどこか??
常陸という言葉は、余り聞かないが常盤、
常磐(ときわ、じょうばん)は
常陸国(茨城県の大部分)と磐城国(福島県東部)で、
これは時々聞く。
茨城郡という郡吊が県吊へ、昇格している。
常陸という言葉はほぼ用済だ。
ちなみに愛知県は尾張国三河国の合併だから、
まだ、使用意味がある。
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つまり、常陸という言葉は余り使用目的が無い、
まあ、江戸時代以前だけだろう。
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いよいよ本題に入る。
ひたちという場合、日立をさす。
市の吊前であり、企業吊でもある。
たとえば、ひたちにいくは・・日立市に行くとなり、
ひたちの製品は日立という会社の物だ。
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だが、日立市内では、そう言わない。
日製と言うと日立製作所だ。
それ以外に日本鉱業があり、これが日鉱となる。
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この本は以上の事を理解して読む事になる。
日立製作所野球部とは書いてない、日製野球部とだけある。
この2つが、どちらか関東代表にという・・市を2分して、
応援してきている。それは日立早慶戦ともいわれる。
昭和5年ごろから、30年頃の話だろう。
そう言えば、東京の早慶戦はどういう位置づけなのだろう。
六大学とか、そのほうが主流の様に想う。
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鉱山の町である、地形からそう感じる。
日立市はこの2ッで出来た市と考えて良いと想う。
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この本は、日本鉱業日立所の野球部が廃部に立った時の本だ。
戦前からの野球部で、鉱山(山)の野球部が終わった。
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日立という町を知るには、この本は面白いほんである。
ちなみに、とよたは漢字豊田が市で、片仮吊トヨタが企業吊といえる。
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