--no.12532--2013年09月06日(金曜、17時〇〇分、-------------

信州研修旅行だが、
今回の頁作りは時系列通りで無く、
先ず、小諸城の石垣から入る。
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が、断っておくが、全くの興味本位である。
しかし、石垣こそ、時代が解るものだとも思う。
木造建物で、戦国時代のものがどれだけあるか。
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先ず、三の丸門、徳川家達の額がある懐古園。
なるほど、明治の門と言える。
切り込み剥ぎげまことに綺麗である。
これだけ綺麗だと、当然、普請に時間が掛かる。
つまり、平時だ。
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そこを抜けて、受付入口の石垣。
戦国秀久の野面積みと看板。
歴史的にはこちらを見せたいと見た。
看板の背景は石垣・・どこを撮したかは、上明だが、
角とは解る。
で、看板の後ろの石垣を見ると、
秩序が無い。これが穴太の積み方かどうかも知らない。
未だ、滋賀、坂本の穴太積みを訪ねていない。
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この積み方を見ると、単に積んでいるだけに見える。
石を並べてどれから積むか考えていない。
横長とか、丸い石を四角くするとか、考えていない。
ある石から積む・・そう言うものなのだろう。
が、しかし、くずれにくいのだおる。
すろと、問題は表面ではなく其のなかの置石がどうなるかだ。
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それに感じることは、草木がほとんどない。
椊物が根を張り、で、石垣を壊す事はある事だが、それを感じさせない。
横から見ると平面で、曲がっていない。
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これは、後で見る、天守台とも違う。
天守台は登ろうとすれば、ベテランなら何とか登るかも・・
そんな、勾配を持つ。
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本丸石垣で行けるとこは行った。
高さ内側1間、外側五間というところか?
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水の手、上開御門跡にも行く。
まあ、此処は、藤村が、千曲川を眺めるには良い所の様だ。
が、一人だといいだろうが、
観光客の声がすればそれもままならないだろう。
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今、ここを城跡として、見ようと考えている。
藤村は、夜明け前が教科書に有ったぐらいの知識しかない。
文学者は、それ程、関心も無い。
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城の石垣は天正四、安土から・・また、安土へ行きたいなあ・・
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