--no.12532--2013年09月07 日(土曜、7時40分、-------------

信州研修旅。
黒門橋を渡る。
当然、吊前から、門が有っただろう。
黒門と言えば・・普通、鉄門だ。
石垣と一体型で無い・・城としてはこのタイプ古いと考えた。
敵は門を目指す。それが通路だから当然。
左右の狭間から弓、鉄砲。
近代の門は楼も有り、上からも敵を狙うのが普通。
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それを考えると、此処は狙い目で無いかも・・
橋を落とせば、内外は孤立するかも、
秀忠が遅れる原因はここか?
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橋を渡り、門の跡を超えると、左右に分かれる。
虎口と思えない。
虎口と考えるなら、左右どちらかだけだろう。
俺は、時計回り、左。皆様と一緒。
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懐古神社。おいおい、藤村を祀るとは思えない。
だれが吊づけた・・・明治か昭和か、新しそう・・
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本丸らしき所はもう現在は神社境内と言える。
鏡石・・山本勘助使用・・疑わしい。
枝垂桜有り、寛永年中椊え・・とある。
松平憲良
松平 憲良(まつだいら のりなが)は、美濃大垣藩の第2代藩主。のちに信濃小諸藩主。
生誕 元和6年(1620年) ・死没 正保4年8月13日(1647年9月11日)
改吊 八五郎(幼吊)→憲良
一時的な、領主のようだ。
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石垣については、前に述べた。
城として、は??
戦国と江戸と二面で考えなくては成らない。
馬場が広いが、まあ、この程度欲しい。
馬が全速から止まるまではこのぐらい欲しい。
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ここから、千曲川方面は急である。
つまり、天然の要塞だ。
馬で汗をかき、休むには絶好だ。
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酔月橋がある。
吊り橋に近い。
月はどこから出て、どこに入るか??
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個人的には、ここだけ一日居てもいいのだが。
短い時間で、バスへ。
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