--no.12647---2013年09月20日(金曜、07時04分)-------

19日亀崎古文書。
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床屋へ行った次の日、この部分は、髪結床だ。
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床屋は、特に、温泉地へ流れてきたから猶更、遊人か。
そう言うこともあろうがまあ、情報屋でもある。
髪結いは口はヒゲをソル以外はひまだから、お互いしゃべる。
で、個人として遊ばなくとも、知っている。
と、此処は読んだ。
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しかし、この作者、それを聞いていたのか??
筆記・・速記でもしていたのか・・
下賤のことまでよく知っている。
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歌舞伎の演目がある、歴史ではあるまい、、
その当時、どのように脚色されて、演じられたか。
客に受ける所を誇張してえんじていたろう、歴史ではない。
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田の助わこ、市村おのこ、小団次が出てきた。
小団次は市川團十郎らしい。
時期的にはこれか?? 九代目 市川團十郎
七代目の五男、1838–1903。
三代目河原崎長十郎 → 初代河原崎権十郎 →
七代目河原崎権之助 → 河原崎三升 → 九代目市川團十郎
どうも違う・・・再度見ると・・次がある。
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その後、父の高弟だった四代目 市川小團次が後見人となる。
しかし『三人吉三廓初買』のお坊吉三や、
『八幡祭小望月賑』(縮屋新助)の穂積新三郎などの大役を与えられても、
立ち振る舞いが堅く科白廻しにも工夫がないので「大根《だの
「お茶壺権ちゃん《だのと酷評された。
当時将軍家に献上される茶壺を護衛する役人の空威張りは巷では笑いの種だったが、
権十郎はその役人よりもなお空威張りに見えたことを皮肉ったものである
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これだろう。
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写真ももらった。
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くる也,
三人斗り足さしのべて、もの語、などしたが、けさより、   まちわびたる
を、いざいざ、といふ、かみゆひ男子、小き手洗に、ゆをくみて、 すえおきつつ
この五日六日ハ、盛になりはべりて、まわりはてもはべらず  なといひつつ
かみそりの刃ときて、おのがおとがひに、あてこころみつつ、  なれたる手拭
にて、ふきて、立あがるを、まろうど、たらひに手をひてて、  かな打ぬらし
そかびになり、少しかうべ、かたむけたる、そのかたわらに、   足さし
のべて、まてるが、いかに、きのふは、いくらばかりのたび人にて  はべるぞや
と、いふを、されば、けさかねつく法師に、とひはべりしが、  きのふ一と日に、入り
たるが、千弐百人斗りといひはべり、おびただしきことにて  はべる、さまに
きつきてなるに合せては、かならず三万にもあまりたらん、  と、いひはべるなど
云つつ、その壺にて、次の壺にゆく、ここには君たちハ、江戸におわすと 見たまへはべる、
かかるいやしきわれらに、はべれど、遠くふる郷をさかりてハ  江戸の君と見
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まゐらせせは、いとも、なつかしきものにてははべるといふを  そのつまの、おやかたハ
江戸ハいつこなる《といふ、えどハ本郷にてはべるを、すきずきしさの  病おほくて、
かかるさましてはべる《と、云を、まろうどほほと打わらひて、  「そのやまひ、たれに
も、ひとつ二つハあるめり、おやかたハいくつはべる《この男子  えみつつ、「されば、そをかが
めへば、およびもそこならん斗りにて、はべる、まず定りのごとく、  酒と女、ばく
打わざ、その外にハ、角力、芝居、ひきはり類、かけご、かけ将棋、  おくやまのまごつき、
長屋のひやかし、そばや、しるこや、てんぷらの立ぐひ、あるひハ、  はなし、義大夫、新内、
のよせば、よみせのまんじう、てんぷらのたちぐひ、あるひハ  おでん、かんざけの立のみ
まで、のがすことなく、のこすくまなく、つくしはてはべりて《  など、何事にか
何るらん、口にまかせていふままに、髪をもいつしか、ものしはてて  いてゆき
つつ、またそのとなりには、女三人四人男もまじりつつ、こも  江戸人と見えたる
が、枕引よせつつ、一枚斗りのもの見つつ、あるに、この男子  くしげ引さげて入り
きつつ、「けふハみぐしハいかがはべる《といへば、さだすぎたる恩なの 「いかにや、いま、隣壺
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にてならべたてたる中に、すまひ、芝居、といふこともあり、と  聞きたるが、「すま
ひハわらわどちいかにともせん、かたなけれど、芝居のうかれにて  は、おやかた
にもおとらじ、とおもふを、みしもの語りては、如何あらん、といふに  この男子
くしげをおき、すわり直しつつ、いで、芝居nもの語ならんにハ、  むさし
の国のはた頭が、一谷の軍もの語せしにもおとらじと、思ひ  かふか
されどいまは、よきものもはべらず、田の助わこがよき、あるハ  市村おのこが
などもいへど、かれらハただ、おとめたちのめを、よろこばずと   いふものに
はべる、いづれはいづれど、いまにては、小団次おのこ、なめり、  かれは、めより、はな
より、手さま、足のもとまで、心を用ひ、立見合のかかるわざにて  はべる、されど、
しり経ふごとく、男小く、おのずから、わらもおほらかならづ、  などかたり、い
ずるを二十ばかりの女、ひざすすめいでて、「なにといふにや、  田之助わこハ、ただ、おと
めのめをよろこばすとハ、そのわざハ、あしかるとの事にや《と  せきこみて
見ゆ、かみゆひ男子の、さなりさなりわざハ、いまだにぶき所の  はべるものを《
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といふに、かの女、「いづこいかなる所の、にぶくあるにや、  この人ハ、芝居見る目
ハもたぬ人なるハ《とあらそひかかるところに
                    壺廻きて「こやこや、  いずくにかと
思ひしが、さきよりいたく尋たるものを、八番の壺に  とくゆきねかし
おのがわざなし、はててのちに、芝居のあげつらひハしょ《と  いわれて、いで
ゆくめり、かくて八番の壺にいろも黒く、ほねふとなる男の、  家のもん
つきたる衣なと、きたる,三人斗り、ずさなるも四人と、見ゆ  あけ荷の、両
かけなどいふものに某藩などしるしたるに、其身の品も  それと
しられたり、かみゆひ男、かみゆふほどに、二人して居向ひつつ、  「いま、世に
人のものする、海防策といふこと、あげつらひたり、一人の  いへらく「今にあ
りてハ内をさきにして、外を払ふべし、これ本末の論  なるを《など
いふを、一人の「内を征めむとするほどに、外その内のむなしきを  うかが
ひおそわん二ハ、いかがせん、《といふをまた一人の「なましびに  外をうたん
とて、かれそのともがらの国、こぞりて来たらんにハ、内いかが  あらん、も
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