--no.12655---2013年09月21日(土曜、17時18分)-------

この頁は2点ある。
一つ、当然トリエンナーレである。
が、後1ッ。寺、松応寺だ。
-------------------------
関連しているようにも、思えるが、先ずトリエンナーレである。
三点ある。
一つ目は、髪結い・・否、パーマ屋が、鉄の輪で埋め尽くされている。
パーマ屋の廃業はそれ程古くは無いと思える。
入口はまだガラス戸に店の案内、。
中には、パーマの椅子があり、カーテンもある。
部屋を輪が埋めているが、特に美しいとも思えない。
----------------------
2件目、マルクスを知っているかい。
195才の誕生日とか。
毛沢東は知っていてもマルクスは過去の人ではないか。
が、表のネオンは、日本共産党とか・・
表現したいものが何か、苦しむ。
まあ、百、譲ってOKとする。
----------------------
この建物、小料理屋だ。否。。だった。
二階へ酒を送る穴が天井にある。
つまり階段は使わない。
二階で、何をしているのだろう。それを、感知しない方式と言える。
-------------------
トリエンナーレはもう1軒、これは二階。
説明しよう。床の板がはがしてある。
で1階天井が見える。
上は、はがした板を天井からぶら下げてある。
で、それが、何だと言えば、それは、作者に聞いてくれ。
---------------------
重要なのは、この寺だ。
天文18年、家康の親、広忠が死ぬ。家康は尾張の捕虜時代だ。
帰つた家康が、墓に松を椊えた。
この話、私は信じる。
で、永禄三年桶狭間と飛ぶ。
そのあとはある程度歴史は確定している。
慶長7年にこの寺となる。もう家康は天下人だ。
なんら、嘘をつくこともなく、供養できる。
--------------------------------
林羅山の鐘もある。が、文字を読む力が俺には無い。
石にも刻んであるのも読めない・・・
--------------------------
土塀が今にも崩れる。五輪塔がある大きい。乾坤院にひけは摂らない。
が、誰も気にしてない。
その他、将棋の駒形の墓が無造作に並べてある。
藩主とは言わなくても、家老級と言える。
それが、ほかってある。
--------------------------
ある時期まで此処は色町である。
そう言う話は地方で時々聞く。
吊古屋大須、金沢主計町、・・それらは観光地として再開発されている。
それとも、石碑だけになっている。
が此処は数年前まで有った、そして、まだ、料理を出す店もある様な・・
此処を訪ねてみる意味はある。
------------------------
歴史好きは時々来る所らしい。
----------end of page-------