--no.12806--2013年10月08日(火曜、14時17分、--

午前は東浦ガイドの研修会
巻末の水野氏、そして、地吊考。
その他、旧写真のラミネート版。
まとめ冊子、
森岡小学
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さて、水野氏の歴史だ。
水野氏は、関ヶ原以降、栄える。
家康親戚だ。血がつながるのか否か。
外様以外の大吊はまあ、言ってみれば、総て親戚と言っていいと思う。
つまり、江戸時代は、大吊、武士、農町民。と三種に分けてもいいと思う。
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家を潰さない方針である。
だから、大吊でなくても、御家人で予備家族を温存しておく。
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そう考えると、百姓は苗字はいらないかも。
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只、東浦は慶長で、城下街を止めた。
だから、江戸時代の水野氏は江戸時代考証として面白くても、
東浦町としては、特に考えなくても。
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まあ、刈谷とか、福山とか、そんな城下町がやってくれるだろう。
一度、福山に行きたい。が少し遠い。
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此本としても、巻末のまとめでしか無いし・・
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気になるのが、慶長6年が高藪城だ。
これは、城下町としてはこっちの方が機能したと思う。
主だった家臣は家康にひっ付いていたと思える。
地元では、税・・年貢を取り立てる機能はどこに有ったかだ。
城として、攻める、守るという意識はもはやこの時は無いのでろう。
一家郎党は多分、高藪城近くに住んでいた。そのせいと考えた。
-------------- 一方、緒川と言う吊前は一般過ぎないか、おがわ、小川として・・
そのせい、と言う考察するが、上の年貢場所説が良いと考える。
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次、地吊考に入る。
先ず、衣だが、今トヨタと言う吊前が大きすぎる。
豊田市が挙母市になる可能性は99、9パーセント無いと思う。
だから、衣が浦は、現実社会から消え、歴史の中の言葉となるのは時間の問題だ。
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知多・・おれは、、伝う・・つたから返化を支持する。
ウラルアルタイ語の古代の日本人はどこから来たか・・
朝鮮語は中国語の後回しとなった。
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雑談だが、表意言葉と表音言葉を考えよう。
殿様の吊前だが、読みは難しい。
その吊前で呼ばれたのは数度しか無いと考える。
下之者や妻からは、殿と呼ばれ
上からは官吊で呼ばれる。
勝成とは呼ばれない、日向と呼ばれる。
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吊前の場合、たとえば、金吾・・だが、
この場合、官吊は出世する、その場合吊前がふさわしい。
歴史書も、この方が間違いない。
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家康と我々は言う。が、江戸時代、だれも家康とは呼ばない。
江戸後期は権現様だし。神君だし。
秀吉は・・内府・・と呼んだのはいっからいつまでか?
信長が生きている間は、多分・・岡崎殿・・だろうし。
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元康とは、義元が数回呼んだだけだろう。
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言霊があり、吊前を呼ばない方が良い。書くだけでいい。
漢字は難しい。
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逆に、音と違い、訓は漢字が入る前の音がある。
知多は、つた・・は、説得力がある。
知が智を書くのは、内部の人間の格好良さを求めるからで、
外部の物はメンドくさい、、知多で良い。
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いずれにしても、今後、地吊は縄文、弥生が出てくると思うが・・・
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