--no.128896--2013年10月18日(金曜、七時35分、--

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怪談の2日目、頁は8、9、10の3頁、6人。
榛吊山後半と、山寺1の始め。
-----榛吊山---------------
これは、単なる怪談とは思えない。
地震の余地と恐ろしさだろう。
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池の霊が、出て来るが之を後から付く加えたとしたらどうだろう。
それを除くと、
魚がはねる、前兆が有り、地震が起こると、怖くて怖気付いた。
つまり、後遺症が出た・・となる。
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で、天文年間、地震で検索。
以下結果。
1532(天文 1)年
  1月20日 讃岐で地震。(讃岐国大日記)
  5月29日 地震。清水・大津・相坂・関屋で水が溢れ、田園多くが亡ぶ。(野史)(厳助往年記)
1533(天文 2)年
  1月16日 京師で地震。(言継卿記)
  2月29日 京師で地震。(言継卿記)
  9月27日 京師で地震。(言継卿記)
        阿蘇山噴火。(肥後国史)
1535(天文 4)年
  2月14日 美濃で大洪水。枝広・井口間で死者2万余。家屋数万が失われる。(厳助往年記)
1537(天文 6)年
  5月11日 鎌倉で地震。(快元僧都記)
 12月 6日 地震あり。(地震東栄鑑)
1539(天文 8)年
  9月 6日 日向で大雪。五穀が熟さず、餓死するもの多し。(日向記)
1542(天文11)年
  2月28日 地震あり。(惟房記)
  3月 6日 地震あり。(大館常興日記)
 閏3月 5日 阿蘇山鳴動し火石を飛ばす。(八代日記)
1544(天文13)年
  4月22日 薩摩で地震。(薩藩旧記雑録)
  7月 9日 大洪水で京市中の人馬の多くが流される。町々の釘抜門戸のことごとくが流失。
        四条・五条の橋と、祇園大鳥居も流失。御所西方の築地も失われる。
        東寺南大門から四塚にかけて船が多数流れるという。
        日吉大宮橋も流失し、比叡山諸坊数宇も失われ、数十人が死亡する。淀・鳥羽でも洪水で死者多数という。
        (厳助往年記)
1545(天文14)年
  3月    薩摩で地震。(薩藩旧記雑録)
1547(天文16)年
  2月 3日 加賀白山噴火。(続史愚抄48)(震災予防調査会報告86)
1548(天文17)年
        加賀白山噴火。(震災予防調査会報告86)
1549(天文18)年
  4月14日 甲斐で地震が数回起こる。(妙法寺記)
1550(天文19)年
  6月22日 大地震。(言継卿記)
1553(天文22)年
  8月24日 鎌倉で風雨地震。(本朝通鑑189)
1554(天文23)年
  5月    加賀白山噴火。(野史)(国花万葉記)
        翌年にかけて霧島噴火。(三国吊勝図会)
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ここでそれらしいのは、
1537(天文 6)年  5月11日 鎌倉で地震。(快元僧都記)
一応、これとして置く。
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