--no.12974--2013年10月30日(水曜、08時36分、--

図書館の本。
原文は読めないからこれだ。
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教養的に読んでみた。
一様読んだ事にしておこう。
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維新の時の、ベストセラー。
維新の時は頼山陽は既になくなっている。
勤王をどの程度表現したかが知りたいだけだ。
今となっては、歴史書として読むものでもないだろう。
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頼山陽を少し調べたが、特に関心点は無い、以下。
頼 山陽(らい さんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日)
- 天保3年9月23日(1832年10月16日))は、江戸時代後期の歴史家、
思想家、漢詩人、文人。
幼吊は久太郎(ひさたろう)、吊は襄(のぼる)、字は子成。
山陽、三十六峯外史と号した。
主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、
日本史上のベストセラーとなった。
頼山陽の墓・京都市東山区長楽寺(2012年3月28日撮影)陽明学者でもあり、
大塩平八郎に大きな影響を与えたといわれる。
関連施設[編集]頼山陽史跡資料館 - 広島市中区袋町の旧居。
山紫水明處 - 京都市上京区東三本木の書斎。
頼惟清旧宅 - 広島県竹原市にある祖父・頼惟清が紺屋を営んでいた家。
父・春水が幼少期に暮らしており、山陽も何度か訪れ詩を残している。
山陽文徳殿 - 没後100年祭を契機に建設。広島市南区比治山。
山陽生誕200周年を記念し1980年に、初の銅像が広島県竹原市に建立された。
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