--no.13037--2013年10月08日(金曜、時分、--

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東浦のガイドの定例会の後だ。確か?
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うなはな館に寄る。
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静かに鑑賞した。それを述べたい。
先ず、パンフの表紙だがここに六社出ている。古くは5村だが・・、
緒川新田が新しい。
俺としても地元だ。し。
そこを見てみると山神社。説明は簡単。
藤江神社も簡単だが、藤江はもう少し書く事が有っても良いと思った。
さて、新田だが・・・
創建万治年間・・1658--1661年とある。
で、祭神が書いてない。他の神社は、それなりに、
記紀・・古事記、日本書紀・・の神が祭神だが、
山神社というイメージは大和朝廷以前の縄文時代の匂いがする。
江戸時代は権現様が神で、明治になり、朝廷政権となり、それなりに神が必要になり
つまり、天皇の臣民として徴兵制も受け入れるためだ。
・・そんな感じである。
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安産御祈祷帳がある。
ここに、水野が出て来る。
寺社奉行の水野藤兵衛だ。これ、古文書で出てきた。
先祖は忠政、信元と聞いた。
今、何故、ここに来たかが上明で、
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棟礼がある。これが、重要である。少なくとも証拠に成。
しっかり、保存。そして、記録していて欲しい、若し紛失や、破搊した場合の為に。
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面、白式尉、黒式尉だ。翁だ。
が、少し古面を見た者として、これはよくわからん。
良いのか悪いのか??
それらしく現代的の様に想う。古面では無い。
裏書の意味がわからん。
つまり、大正八年、第一部落だ。
その時以後、何らかの舞なり、神楽なりがあったのか、
それ程古くは無い、今なら調べられるだろう。
正月の舞か、その他、何らかの目的があったのか???
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