--no.13097--2013年10月16日(土曜、時分、--

慶応4年会津の資料を頂く。
これだ。
先ず、流し読みした。
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新聞だから面白い。
加工は少ないと言える。つまり信じれる。
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どこから探し出したか聞いてない。
が、一応出典がある。
その中から、・・もしほ草・・を探した。
表紙だけ出てきた。
これは横浜の新聞らしい・・態度として、中立、公平と見た。
が、文章は出てこない。
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出典を参考のため、記入しよう・・何時か調べるかも。
太政官日誌、関東鎮台日誌、江湖新聞、中外新聞、もしほ草。
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開城の時の会津の武器だが、これが数字だから具体的だ。
大砲 弾薬付き五拾壱梃。
これは、弾薬がわからんが、数は多いと思う。
次、
小銃、弐千八百四拾五梃
弾薬弐萬弐千発。
相当多いと考えるが、どうだろう。
22000割る2800は・・各々10発は打てる。
それをどう取る。
丁寧に使えば、まだ、戦える・・と見た。
貴方はどう見る。
佐川勘兵衛はそう言ったらしい。
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次の重要点は、降伏場面。
・・9月22日・・
会津肥後父子、熨斗目、麻上下、無刀、
・・・「先年在京のみぎり、重き天朝の御厚御を蒙り
ながら、今日の次第・・上埒の至り・・・
容保の胸の内を考えずにはおられん・・
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