--no.13444--2014年01月06日(月曜、9時19分、--

5日日誌。
安城へ行く。
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朝、少し部屋の片付け。
ストーブのコードの余りが邪魔。
壁は、そのまま。
ズボンの裾を短く・・裁縫。
頼んでも、1年かかってもできないもの。
が、タイミングか、クッションの紐の付け替えは出来た。
パッチワーク時が良いのか、次男のミスだからか?。
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頁作りも、一段落。
安城へ行く。12時頃出る。着は12時44分。
先ず、歴史館に入る前、寺を見る。
安祥山大乗寺。高張提灯。幕は三葉葵。
観音経とか。完全に地元に溶け込む。
焚き火に少し当る。
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この日の目的は二ッ。
三河万歳は二時から・・と
三河一揆の展示。
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時間まで、1時間弱。三河一揆。
写真は無い。
本物は、見るべきだろう。
時間で、途中出る。
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扨、本題。主に、三点。
三河万歳、御殿万歳、忠臣蔵の神崎与五郎則安。
プログラムはA4で、11枚。
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万歳は、形式は二ッ有るが本題は同じ。
三河・・の方は、考え方によれば、物貰い。
御殿・・の方は、一応座敷芸だが、
いずれにしても、おめでたい言葉をおかしく並べるもの。
そのおめでたいものとは、子孫繁栄、とお宝入手。
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最初の三河万歳は三選択で、挙手で、天照だったが・・
之を、陽が、出てくることで、繁栄を謳う事に変わりは無い。
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一番気になるのは、忠臣蔵。
万歳と言うより、歌舞伎の変形。
と、言うと、元禄事件の後は当然であるが、
歌舞伎が当たり、それを、万歳に取り入れたものだろう。
すると、1800年以降だろう。
御殿万歳なんて、どこでやるのか、を考えると、
武家では、ないだろう。すると、商家のお大尽か、
料亭の宴会・・これも商人。
その余興として、忠臣蔵が演じられたと考える。
この場面、武士が頭を下げる場面、考えれば武家ではやらないだろう。
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終わって、関係者に聞いた。忠臣蔵の他の演目は??と。
答えは三段目。さて、今。調べる。
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松の廊下で。京都(室町幕府が)から来た足利直義の逗留と饗応のために新しく御殿が。
高師直(吉良上野介で)と仲が悪いのは、桃井若狭助・・・刃傷場
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当然、討ち入りでは無い。武士の喧嘩だ。
見方を替えると、、武士は喧嘩ばかりして・・情けない。と写る。
・・そう言うものさ。江戸時代の忠臣蔵は・・つまり、忠君的では無い。
此処安祥は、吉良に近い。三段目はしない方が良いかも。
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その後、一揆展の後半をみて、からくりで、松竹・・と書く人形を見て、帰宅。
この日は快晴、雲一つ無い。帰って4時頃。すぐ日は暮れた。
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