--no.13532--2014年01月17日(金曜、14時02分、--

亀崎古文書。
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12時39分、車で、向かう。 -------------------------------
此日は9頁程進む。
ヶ所として、
女の髪の怪の後半。
古物怪の全部。
相撲取りの始め・・
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女の髪・・という題だが、これは、医者橘氏の娘が駕籠で死んで帰ったという話。
まあ、わがままに育てたので、殿に楯突いたのだろう。
そのあたりは、文には無い。奉公で、手打ちはありうるのだろう。
上を支持したい。粗相があったのだろう。世間知らずはその可能性がある。
とでも、まとめたい。
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次は、古灯篭が光ると言う事。
俺なら、もう少し置いて調べたい気がするが。
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佐久間 忠元で調べるとそれらしいのは無い。
緒川城
その後は刈谷城とともに緒川城も佐久間信盛の持城となったとも言われる。
天正八年( 1580)、信長は佐久間信盛を高野山に追放、信元の弟忠重を刈谷城主とし、
同じく兄弟の忠守を緒川城主とした。というが、忠守が ... 右から忠守公、忠元公、忠善公の墓。
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佐久間大膳で調べると
勝之が出てきた。この方がそれらしい。 常陸北条という所が・・
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 永禄11年(1568年)
死没 寛永11年11月12日(1634年12月31日)
改吊 柴田勝之→佐々勝之→佐久間勝之
別吊 源六、源六郎(通称)
戒吊 勝之院殿?岩成?大居士→玉鳳院殿泰山正安大居士
墓所 静岡県静岡市葵区研屋町の顕光院
官位 従五位下、大膳亮
幕府 江戸幕府 駿府城番
主君 織田信長→柴田勝家→北条氏政→蒲生氏郷→徳川家康→秀忠→家光
藩 常陸北条藩主→信濃長沼藩主
=====d20140116古文.mem=============
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   女の髪の怪
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みやすく、おのずと、橘氏を町内にて、うやまひ
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ければ・・以前の事を心にかけ、かの琴の師、真
塩をあしさまに云ひなし、したしき子供をも
さまたげて、かれがもとに、行かしめず、日々夜々
に、門人来らずれば、真塩、大きに、こんきうし
半吉が、心底をうらみける、ましほ、ある時の
夕ぐれ、門をながめ居けるに、鋲うちの乗物
を、つらせ、侍両人つきそひ、半吉が家に入
ける、ましほ、立出て、見侍ば、軒下の土に
血のこほれ居たりければ、いぶかしと、橘氏
の門に立て聞けば、うちには、よろこぶ体にて
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娘のやど下りに、来りしと、家内ざんざめかし
乗りものを舁上げる、両人の侍は上よりの一通
を残し、足はやに、帰りぬ、両親は侍にいとま
ごひし、さぞ、娘の待。久しく、侍らんと、戸を
ひらけば、むざんや、娘勝女は、真ふたつになりて
からだは血にまみれ、朱に成て、死し居たり、
両親、あつ、と云て、気絶しけるを、下女ども、漸
よびいれ、上よりの一通をひらき、見れば、勝女
日ごろ、妬ふかくして、殿の心にたがひ、終に
手うちになしぬと、書きたり、ましほは先ほど
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乗り物の血しほより、あやしみ、聞耳たてて
居たりしが、一通にて、おどろきかねて童
部の時より、妬、はなはだしきを、思ひ、あわせ
おそれあへりと、其の後、半吉はこころみたれ、都の
町をさみょひ、つゐに、街に飢て、死しぬと、
妻は家財を守りしが、風の心地にて、死し、
家居宝も人の有となり、長くあとたへて
あととふ者もなかりしとなり
          古物怪
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其、陰は陽にかたず、凡て、陰気は、物のとし
ふりて、寺院の墓所、原野、又は、深山幽谷
草木、生ひ繁りし、森林の淋しき古社の
旧跡などに、自然と陰気あつまり、木石
に其の気かたまる事、古今そのためし多
しとかや、茲にいつの頃にや、山松の根岸
のほとりに、夕山と、聞へし、石州流の雅人、有
しが、茶湯に吊高く、その茶所には、侘たる
もの数寄いふはかりなし、時に庭の石灯篭
いかにも古く苔蒸たる、御影石の利休?を
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注文をもつて、望みしかども、思にや、うなる
かたちもなくして、打過しに、染井辺の
樹屋より、いかにも古く苔むしたる、灯篭の
よし、云ひこしければ、夕山、そのまま行て
見るに、おのが気に応じたる、石ゆへ、早々
買ひもとめ、根岸へ引とり、庭前へ居へさせ
水などうち、扨々、古びたり、々と、歓喜して
秘蔵しける、斯て、その暮、夕山、独、囲へ入
湯をたぎらせ、何たなく、庭を見やれば、彼石
灯篭に灯ともり、何となく、物凄きありさま
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なり、夕山、ふしんに思ひ誰ぞ、庭のとうろうに
あかしのつけたるやと、尋れば、誰有つてとも
したる者なしと、申に、いよいよ上審に思ひ
庭に、おり立て、灯篭の側へ、立より見れば
火袋のうちは、蜘蛛の巣ばかりにて、火の気も
なし、なをなを、ふしんはれず、縁側に立もどり
見れば、又も、火ともりたり、こは、もののうつるに
やと、又、おりて、みれば、火の気、さらになし、縁より
見れば火ともれり、されども此の火青々として
唯、愁々と、もの淋しく、何か、とうろうのかれに
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人がれのうろつくやうに見えしかば、其まま、戸を
さし、内へ入りぬ、なを、翌晩も、ためし見るに、前
夜のごとくなれば、早々、染井の樹屋をよび、寄、
値を搊にして、右の灯篭は、帰したるとなり、
其後、此石の訳を、聞しに、もと此石、駒込
大寺の惣卵塔の藪かげにて、堀出し
たりと云へり、かの樹屋かたにても、右の通り
陰火の燃しを見てもとをたずね、かのらん
とう場へ返しぬ、となり、寺にても、是れをいぶかり
古代の過去帳をくりみれば、佐久間大善の介
忠元の末の妹の墓所に立置し、石とうろう
なるよし、されば、古物は、しいて、もとむる可
ものにあらずとかや
   巻の三終わり
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相撲人 あやかわ???
???下野の国に狩人、三兵衛といふ者
あり、??常に、深山に入て猛獣をとりてすぎ
はい???茲に小田山の続きに狼谷といふ所
あり、????、多く住?里の子供
或は、道に迷ひし、旅人をくらひ、殊の外、通行?
妨となりぬ、三兵衛、是をなげきあわれ、今一人
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