--no.13592--2014年01月26日(日曜、時分、--

木曜23日午後は、亀崎古文書。
2番目が、当番ヶ所。すなわち50pBだ。
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この日は・・相撲人・・全般・・と、
荒波婆の前部分。
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綾川五郎次は、実在らしい。岡山池田候に召抱えられたらしい。
調べると以下。ーーーーーーーー
綾川 五郎次(あやがわ(あやかわ) ごろうじ、
1703年(元禄16年)? - 1765年3月14日(明和2年1月23日))は、
下野国(現栃木県)出身の元大相撲力士。

概要下野国(現栃木県)出身(常陸国(現茨城県)出身という説も存在する)で、
1717年に大関へ昇進していること以外、詳細は上明である。
江戸相撲の力士だが、珍しく大坂相撲や京都相撲でも人気があったと言われる。

現在公認されている横綱としては明石志賀之助に次いで2代目とされているが、
明石とともに「伝説上の横綱《と考えるのが一般的である。
無理に歴代横綱へ加えたとされる初代から3代まででも綾川に対しては特に疑問が多く示され、
「丸山権太左衛門を2代目、綾川を3代目《とした場合、
丸山の生年は1713年と判明しているため、
綾川が大関に昇進したとされる1717年の時点ではまだ数え年5歳である。
このことから、綾川を2代目であるとする説が濃厚である。
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まあ、ここで、注目する事は、元禄以降の人と言う事位。
多分、この文が書かれた頃には、伝説の人だったのだろう。
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荒波婆。
今、ここで、気になる事は、現在までは、
・・親方・・が、商人の主人とされていることだ。
俺は、工の親方と考えて居る。
次回には、解決したい。

=====d20140123古文.mem=============
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相撲人 あやかわ???
???下野の国に狩人、三兵衛といふ者
あり、??常に、深山に入て猛獣をとりてすぎ
はい???茲に小田山の続きに狼谷といふ所
あり、????、多く住?里の子供
或は、道に迷ひし、旅人をくらひ、殊の外、通行?
妨となりぬ、三兵衛、是をなげきあわれ、今一人
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大剛のものあれかし、ともなひて、此古狼をうち
ころし、人の難をはらはんと、日夜おもひめぐらす
処にある時、野に出て、兎をとらんと、するとき
浅草刈、童のうちに十六七と見ゆるが、同じ年
頃のわらんべと相撲をとりて、遊びて、いたが
三兵衛、立よどみて、見ればまず一人を、つづけて
二人かかるを、投ければ、童部とも大きにいかり、三人
四人とかかりけれども、かのもの、事ともせず、前後
左ゆふに、投倒しければ、三兵衛、つくづく見て、世に
大力のわらべかな、人とならばつづくものある
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べからず、と、心に感じ近よって、いずれの者
と問へば、此村の百姓、五六大夫が倅、五ろ次と
申もの、なりと、かたふ、三兵衛、そのままかの倅を
近つけ、足下にたのみたる事あり、この小山田の
谷間に年降経る狼あつて、人のなやます、我
是をうたんと思へど、一人の力に叶はず、あわれ
御身わが片腕となつて、玉われ、と、いひければ、
五ら次、聞より、大きに、いさみ、それこそ、望む処
なりと、三兵衛を宿にともなひ、五ろ大夫に
語り其夜を明し、あくれば、朝霧をはきて
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小田山にわけ入、狼谷を心さし、心ぼそくも、只
二人、三兵衛は、鉄砲をもち、五郎次は三兵衛が
山刀を帯し、真先にすすみ、いそぎ行くに、はや
かの谷ちかくなりければ、両人、巌のかげより見
おそせば、古狼、四五疋かさなり合て、ふしゐたり
三兵衛、しずかに谷口に下りて、ようすをとくと
見すほし、かねて手練の二ッ玉をこめ、どうど
打てば、かさなりし、狼の太腹をうちぬき、そく
ざに三兵衛を目がけ飛びかかるを三兵衛、巌を
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小楯にとり、二の玉をこめんとするをすかさず
飛びかかる、五郎次、かくと見て、そのままはしり、寄
太刀を以て大喝、一声、胴切にぞなしける、続て
かかるを大石にひらりと乗り、首をちうに
打おとす、そのうち三兵衛がてっぽうにて
一疋うちころしぬ、両人、大息をつき、谷水を
くみ、のんどを、潤すところに、洞の中よりなま
くさき風、吹おこり、白毛の狼、大きさ、子牛ほども
有らむと、おぼしきが、牙をならし食ひつかん
と、飛かかるを、五郎次、かの諸刃の剛刀を、ふるつて
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真向を切る、なをも、かけつてかかるを、三兵衛
鉄砲にて、打けれども、玉は飛かへつて、あたら
ず、五郎次、わざと、あふのけに、なり、刀を上へ
さしあげ居ければ、白狼、そのうへをとび越
えしかば、茲ぞと、腹を突くに、綿などを切るが
ごとし、五郎次、驚ろき、下より、うしろ足を取て
引倒し三兵衛に、はやく大石を以てかしらを
くだけといふ、三兵衛、心得たりと、三十貫目斗の
石を狼の真向に打付れば、鼻より血の走り
しかば、続て、三ッばかり打付たり、五郎次は、腹の
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上にのぼり、力にまかせて、?付ぬれば、眼口より
血をながし、うなる、その声、山彦にこたへ、おびた
だし、されども二人にてなんなく打ころし、其
まま、縄につなぎ谷より引出し残り五疋の
狼は首ばかり切ってさし荷ひ、里にくだる、見る
もの肝をひやし人力の及ぶ処にあらずと
二人の勇剛を感じずぬ、此童、後、江戸に出て
綾川五郎次と吊のり、その吊、日の本に高
き関とりとはなりぬと
   荒波婆々
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麻生長坂のほとりに、むかし、荒浪婆々と
いふものあり、世にありし時、嫁にあたりの
つよければ、かく吊づけたるなるべし、今は子とて
もなく、ひとりくらしにて、洗濯屋体にて、
よからぬ者どもを集めて、日をおくりぬ、茲に
さる、商人の手代、ところにふるき工の妻と
蜜通し、女を連て、欠落せんと、親方の金
五十両ぬすみとり、かねて、荒浪は密事のとり
訳しけるまま、婆々が処に来り、いふよう、もはや
工めも、やうすを悟りたるやうに、見ゆるなれば
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女をつれて、かけおちせんと、支度してまいり
しけり、何とぞ首尾よく、女を引出し給はれ
と、頼みければ、夫は、いと安き事也、何時にて
も、たばかり呼出すべし、しかし、何処へ立退
たまふぞと、尋ければ、生国近江へ立退申積り
なりと、覚悟しつると、懐より五十金を出し
婆らに、見せ、そのまま、封を切り金五両さし
出し、是は此ほどのお心つかひを謝すと、云ければ
婆々は、是をとらず、中々、其金子を受んとて、御
世話は申さず、少しも左ようの心ずかひし給ふ
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べからず

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