--no.13675--2014年02月07日(金曜、時分、--

6日の古文書、亀崎。
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内容は、古城の後半と、瀧の原の神体の始め。
感想としては古城・・となる。
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江戸時代の文という感じ。
少なくとも漱石以前のテーマが分からない文。
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西條民弥の事件である。
が、これが、善か悪か、
本人は切腹、家族は放免だ。
こう言う場合、冤罪で、ある。
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つまり、3千両の盗みで、それは作り話。
すると、金は本人がちゃんと発見して、それを善行に使用した。
誰かが隠したが、まあそれは、前の領主と言える。
若し、この話が本当ならそうなる。
前の領主と言えば、毛利か、福島、で、もっと前の、山内かも
そして、現在は、浅野だ。
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逆に、城から盗んで、3000両を領民に与えた。
と言う事なら、こんな筋で、怪談が成立するとは思えない。
そもそも、盗みをするひとが、そんな事しない。
ねずみ小僧も、金を配るというのは、庶民の夢で、作り話だ。
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良い家来を殺すには、こう言う話で、落ち着く。
浅野の仕業だ。勿論、俺の無責任な独断である。

=====d20140206古文.mem=============
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    古城
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倒れふすと見へしが、一円の陰火となつて
とび去りぬ、民弥、さも有なんと、なを、奥ふかく
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すすみ行くに、さしたる怪事もなかりければ其
日は、里にかへり、時の城主に訴へしかば、城主
民弥が勇を感じ三百貫の所領をあたへ
則、その城をまもらしむ。民弥、その恩を謝し
かの城にいたり、草をはらわせ、道をひらき、
詰所々を掃除して、家族を引ぐし、吉
辰をえらんで、引移、何事なく二、三ヶ月こそは
おくりける、ある時、民弥、大手の門の土台の石
かたぶきしをなをさんと、人歩をかけて、ほりかえす
に、ひとつの壺をえたり、中をひらき見れば
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黄金三千両入置たり、民弥、いぶかしき事に
おもひ、城主へ訴へんとする所へ、翁、忽然と顕れ
我は、此金の精なり、いま時を得て世に出ぬ
是、天命の定りある処なれば、かならず、城主へ
差し出す事なかれ、されば、とて、汝が所得とする
も、うしろくらきに、似たり、見よ々、秋の頃ハ汝が
領、又、他の領すべて、民を救ひなば、万民をうるほす
たよりなるべし、さあらば、城主の聞へもよろし
からむ、と、云捨て、かき消てすせぬ、民弥、大きに
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歓び心に紊め、其日の人歩に他言をとどめ
ひそかに蔵にひめおきぬ、扨、その、年の秋、翁が
云ひしに、たがはず、山津波といふ、民屋、大に
やぶれ田畑、残らずながれうせ、百姓、大きに困
窮す、民弥、ここぞと、かの三千両を出し、諸民に
あたへて、翁の詞のたがわずるを奇とす、百姓
等は、多くの金をめぐまれて、悦ぶ事かぎりなく
城下に出て米を買ひ糧米として、その日を
おくりければ、みなみな、民弥が有徳を感ず、茲に
家老、某、高野に出たりしが、日くれてその
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帰路を窺ひ、遠矢を射し者あり、幸ひに見に
あたらず、其まま、人を別て、たずねしに、森の中
にて、一人の若者をとらへ、高手後手に、いましめ
厳しくせめ問へば、御領内の百性なるが、秋つ頃の
水難の節、御領の者ともすべて、西條どのの恵み
にて、金をたびて、命を救ひ給へり、殿は困民を
あわれまざれば、一郷うらみをふくみ、我をたのむ
により、かかる、仕合なりとつつまず申ける、家長
いかって縄付を引立させ、屋敷へ帰り、翌日、見
れば、いつの間にか、縄を引、行方しらず成ける
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むねんながら、いかりを押へわが領地へ人をつかわし
見せしむるに、折りふし、西條も、獣狩に、出て、家老
の領地を通るに、恩人の通らせ給ふと、地に頭を
つき、うやまふ体ゆへ、つぶさに、問へば、民弥多くの金
を百姓にあたへし故、かく帰伏しぬる《と、語り
ければ,立帰て、家老に、申、家老、眉を寄せ、かの
民弥は、近ころまで、郷士なれば、さまで、富りとも
おぼへず、いかがして、多くの、金を得たるや、いぶかし
と、思ふ処へ、金の御蔵守、あわただしく来り、
いつの間にか、宝蔵の金三千両、うせてかいくれ、見
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えず、又、人の悪ひ入りしとも、見へ候はずと、大息つき
て、言ひければ、家老、手を打、それにて、謀反人を知れ
り、過つるころ、、遠矢を射かれしも、かれがわざな
めり《と、其まま、城にて、うったへ、民弥を殿中に
めして、捕へ、きびしく詮議しけれども、元より
おぼへのなき事なれば、預りし城の大手の木戸
修理のみぎわ、得たるよし、又、老翁の云ッし事
ども、つぶさに云上し、ければ、いそぎ、かの金を入し、
壺をとりよせらる、民弥が家臣、使の士ととも
かの壺を荷ひしに、道にて、俄に、箱と変しぬ。
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怪しと思へども、せんかたなく、御前へ、さし出せば
則、あらたむるに、宝蔵に紊めし箱に相違
なし、民弥も奇異の思ひをなし、古城、最初
の妖怪の後、金の壺を、堀出したるも、妖怪
の業なりと、くわしく申と、いへども怪力乱神の
たとへを引、壺といひしも、金を入し箱なめりと
終に、うたがひ解ず。民弥ハ切腹して死し
たりと、思へば郷民の家長に矢を射りけし
こと、怪の業にや、民弥が一族は御かまひなく
城を払はれたる、出城のみぎり、ざしきのやね
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うらに声あつて、久しく住居なせしを、民弥に
さまたげられしが、又々、我々が住居に、とり返し
たりと、同声に、どっと、笑ひしとなり、其後、古
の古城となり、人も住ず、あれはて、今は、礎のみ
残れりと
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   瀧の原の神体
出羽の何邑とかや、いふ処の百姓、茂太平
世を男にゆずり、隠居の後、同行七人連にて
西の国の霊場、見まほしく、都の方へいそぎ
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天照御神を拝して、伊勢路にかかりしに
日も入相とおちこちの、旅宿に、灯すころ
その影をたよりに、たどり付、一夜を乞ひ、湯に
いり、飯などしたため、つきせぬものは、故郷の
咄しに、更る、鐘の声を横にころりと木
まくらの、是が真に極楽ぞと、草臥をやすめ
ける、夜もしんしんと松風に連て、聞こゆる
八ッの鐘、茂太平、ふと、眼をさまし七ッぞと、
聞ちがへ、みなみなを引おこし、支度もそこそこに
して、出ける、茂太平、いふよう、是より、なぐさめ
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紀の路におもむかんが、扨、宿を出しは、七ッぞと
おもひしに、まだ、傾かぬ月影、扨は、八ッにては
なきや、いずれ此先、瀧の原大神と聞へし
おやしろあり、序に、参詣せんものと、足に
まかせて、たどりつき、神前にぬかずき、それ
より、松原に出、夜もまだ、明ざれば、火縄とり
出し摺火をうちて、たばこを、のみ、あたりを
見れば、大木を伐倒したる体にて、暗きは、
くらし、其長さは、いつくまでやら、かぐりなし
茂太平、連にむかひ此木はまことに長さいか程
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