--no.13857--2014年03月03日(月曜、時分、--

数枚メールホトフレームが届いていた。
時々、メールが届くのがうれしい。
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其の他、スカイプがあり、でもこれは、記録に残らない。
大きい声を出したが、どれくらい聞こえたのだろう。
じーと画像を見ていただけで、笑いもしない。
まあ、そうだろう、テレビ程面白い顔ができたわけでないし。
どうせ、画面は平面で、生映像だとは認識できないのは当然。
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少し調べて見た。 ----------------------
d20140304雛祭り
「雛祭り《はいつ頃から始まったのかその起源説は複数存在している。
平安時代の京都で既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと《として行われていた。
御所風の御殿「屋形《をしつらえ飾ったものと考えられる。
初めは「遊びごと《であり、雛あそびの吊称の由来があった。
しかし平安時代には「流し雛《があり、雛人形は「災厄よけ《の「守り雛《。
江戸時代になり女子の「人形遊び《と節物の「節句の儀式《と結びつき、
武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の家財のひとつに数えられるようにもなった。
これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物であった。
十二単の装束を着せた「元禄雛《、
大型の「享保雛《などが作られたが、
芥子雛《と呼ばれる精巧を極めた小さな雛人形(わずか数センチの大きさ)。
江戸時代後期には「有職雛《とよばれる、る「古今雛《が現れた。
18世紀終わり近くより囃子人形が官女・随身・仕丁などの、
雛飾りは嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、
御殿や壇飾りなど急速にセットが増え、
御殿は江戸では用いられず、。。。。用いられ台所道具も同様である。
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内裏雛(だいりびな)とは
天皇と皇后を表す一対の雛人形で、
段飾りにおいては最上段に飾られる。
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以上は資料で、以下感想。
どうも、時代と共に変化している様だ。
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日本の年中行事で、三月桃の節句、五月端午の節句が、
女、男と区別して、祝うようだ。
七月七夕、九月重陽は、ほぼ消え去った。
できれば、それも風習を残して欲しいのだが。
何らかの形で。
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