--no.13880--2014年03月6日(木曜、9時00分、--

今日は6日で、木曜、亀崎古文書の日。
但し、何時もと違い、保育園にはいかないので、落ち着いて学習出来た。
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又。この怪談は大尾・・つまり完了した。
去年の七月頃から始まり、つまり半年掛かった。
次に、三河記も一人分入ったが、それについては、次回まとめたい。
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今回は、この話一本である。
怪談と言うより、乱暴者の話。
ただ、現代では、差別用語となり、ここだけの話で終わるだろう。
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戸隠山、権現で、そう考えれば、宗教の話。
江戸から京に登る、中山道で、行くと善光寺はどの程度の大廻りかな???
まあ有りうることだろう。
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題は・・一つ家・・それは、どう訳す。
一軒家か、絵は山小屋風ではない。
以下、起こし・・・
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=====d20140306古文亀崎.mem===========
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    一ッ家
元禄のころ、津打政二と云、肌脱、あり、 一年、妻を
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.....
戸隠山へは、女を上げ申さぬよし、されば、参詣はならぬ
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との事なりといふ。うちそろへ、ゆびさし、又、地に倒れ
立上がりし、紋二が妻を下に引すえしかば、女房これを
見て、「お客聞き給へ、そこへ,ゆびさせしは、たがふるといふ事也。
地にさしたるは、路がわるひといふ事、又、おかもじを下に
置しは、茲にとがめて、ぬし壱人参詣なされよ《と云
事なりと、聞きて紋二、手を打、「なるほど、行て参詣のなら
ぬ女を具すも、むやくなり、善がたまじくは、かかるまじ、我
妻をたのみ奉ると、妻にも荷物などわたし、独、出行を
亭主ははや、わらじはき、先へ、立でれば、足は案内の為
なるべしと、なを、心つよく女房に一例して、出行ぬ、暫く
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して、亭主は、帰り来り、ければ、女房、茶を汲で、出せば、畳へ
十文字をかく。女房見て「扨は、街道の四ッ角まで、おくり
帰りしものなり。四ッ角へ出給はば、戸隠へは、ちと近しと、
いふ内、亭主はかの、女房を一と足に蹴倒し、あら縄にて、
柱に括りつけたり、紋次が妻は、おそろき、いかにやと、とどむる。
を、ふり切り手拭にて、女房の口をわり、そのまま紋次が妻に
いたき付、横おりにして、戯れかかる、紋次が妻は、芸子の
あがりにて、美麗なれば、いなかの人の眼にも、うる
わしと見て、恋慕の情、発し、かく女房をいましめ
非道をなさんとす。妻はいろいろ,身をもがき、表の方へ、逃げ
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出れば、唖は、追かけ、えりもとをとらへ、打倒し、のりかかり、
すでに、情を通ぜんとする時、女房は、縄をすり切り、唖に
とりつき目で、しらせ、しかたで、しらせ、いろいろ、いさむれば
唖は、戸棚より、脇差を出し、女房を引敷、氷のごときだん
びらにて、心もとを、さし通す。さし通されて、もだへくるし
むを、見捨て妻に、とりつき、いろいろのしかたにてくどく
ぞおそろし、妻は云ひわけんにも唖の事、いかがはせんと
気も魂も身にそはず、うち震ふ、処へ、一間より、八十余り
の祖父、はいずり、でて、唖の袖にすがり、なげきければ、
唖はいかれる、顏色にて、祖父の首をも、打落しける、その
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ひまに、表へ、にげ出、足にまかせて十町あまり、逃のび
しに、叢の内に人の声すれば、立とより、聞に、正しく
夫の声也、と、立より見れば、古井戸のごとき穴のうちに
夫のうめくにぞ、ありける。そのまま、帯を下ければ、かの
帯にとりつき、ようよう、這ひ、上り、二人、ものをもいわず
しばし、あきれて、有りしが、妻は泪の声ふるはし、唖の
れんぼにて、女房、親をころせし趣をかたれば、紋二
驚て、「扨こそ、我をも、此処へ、ともなひ、底しれぬ穴に
つき落としけれども、唖のかなしさは、我大に、叫びくる
しみしかども、聞付ずして、帰りしは、我が運のつよき
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ところ、なれと、いふうち、草むら、風を生じ、人の足おと、
耳近くなれば、二人は、草の繁みに、隠れ居たり。程なく
かの唖は妻を逃し、夜叉のごとく、荒れ、来たり、さまざま尋ね
さがし、最前、紋二を打込みし、穴の側に立より、中
をのぞみ、見しが、はからずも、足下の土くれかかり
穴の中へどうど、落る。紋二、此のありさまをみすまし
大石をまろばしおとせば、唖は、石を手玉のごとく
投げ上げければ、又手ごろなるを、まろばし、おとしけれ共
却って、足だまりとて、止まらんとす。又、かたはらの土
くれ込みしを、力にして、飛び上がり、々、紋二夫婦を見て
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いかれる顔色、朱をそそぎ、一念凝つて、飛び上がるを今は
たまらじ《と、脇差、引ぬき、さけ突にすれば、剣の
刃を、両手に、つかみ上らんと、すれば、紋二、力にまかせ
て、引ければ、十うの指はらはらと、落たり、夫をも厭はず
飛上り、くるへども、指なければ、手かかり、なく、もだや
るを、二人して、石をとつて、投付れば、暫しは、支へし
かども、だんだんに、つかれ、よわり、終に、穴の中にて
死したり、目前に、親をころしたる、天罰のほどぞ
おそろしけれ。夫婦は、ふぃしぎに命をたすかり
しも、九頭竜権現の神力なりと、夫より、戸隠
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山へ、詣で、神威を謝しからふして、みやこへ
登りけるとなり。
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開化して、今は上思議はなかり
               けり、
妖怪の咄、聞聞、昼寝かな
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  本庄駅
  大江田
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話に出た、本庄駅を調べた。中山道ということで、
木曽の辺りではとも、考えたが、全くの関東である。
岩瀬は関東の本まで集めたのか、
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d20140306本庄駅.mem
本庄駅
この項目では、本庄駅(JR東日本)について説明しています。
読み方が同じである本城駅(JR九州)については「本城駅《をご覧ください。
読み方が同じである本荘駅(えちぜん鉄道)については「本荘駅《をご覧ください。
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所在地 埼玉県本庄市銀座三丁目6-19
北緯36度14分10.08秒 東経139度11分19.07秒? /
?北緯36.2361333度 東経139.1886306度? / 36.2361333; 139.1886306
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 ■高崎線
キロ程 55.7km(大宮起点)
上野から尾久経由で82.6km
開業年月日 1883年(明治16年)10月21日
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本庄市(ほんじょうし)は、埼玉県の北西部に位置する市。
中山道の宿場・本庄宿が置かれた。
本庄宿は中山道の中で最大の宿場町として栄え、
明治時代には本庄への遷都が計画されていた事がある
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