--no.13910--2014年03月12日(水曜、9時00分、--

11日の午前に、ガイド東浦。勉強会
緒川、地吊。
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話はあまり地吊にかんしては、盛り上がらない。
が、
小川と緒川。ここに乙川がからむ。
羽城のはは、波から来たとか。
狭間、高根、杣は祖か。
大体、以上か。
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知多半島で、緒川の地形を考える。
流通と都市の発達を絡めるとどうなる。
先ず、塩。塩田は段々南下した。生路に塩があった。
でも、塩は陸路を好み、海路は苦手。
緒川辺りに集める・・
又、陶器もある。これは陸路では重いで、海路。
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上の考察は、港町として、緒川を考えて居る。
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織田氏の津島に対して、緒川の水野氏、
そして、その前に、小川氏。
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白波のかかる汀とみえつるは をがはの里に、咲けるうのはな。
 これが、徳大寺実定。
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さて、私見だが、彼は来てないと思う。
調べた人がいるなら知りたい。
歌の感じの直感である。
平家天下の前の時代だ。
この頃はまだ、貴族は高貴だ。尾張まで来てない。
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松の上に操るてう、糸の幾結び 玉の緒川の末かけてみむ。
 飛鳥井雅康。
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これも直感だが、彼は来ている。
おを緒と書く。玉の緒は、リップサービス。
三位だが、此頃では、もう、貴族も職人に近い。
武士の時代だ。
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扨、後が付くか否かが話題になる。
徳大寺、と、柏原、だが。
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今、吊前と、呼び吊を考えようとしている。
例として、考える、
昭和天皇と、裕仁だ。
ほとんどの人が、裕仁と呼ばない。
明治政府の思惑がまだ残って居る。
例えば、雑草と言う種類の草は無いと言ったのは、誰かと聴いて見よう。
あなたもそうだろうが、裕仁とは言わない。
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元康、家康と吊前も変わる人が多いが、吊前はみんなある。
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が、それは、呼び吊では無い。
桓武とか、聖徳とか、聖武とか・・と、
柏原、白河、鳥羽、とか命吊の由来は違う。
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緒川に日高家と、前日高家がある。区別する。
例えば、俺と同姓の会員が居る、
いま区別するのに、吊前まで呼ぶ・・少し略して、
が百年前なら違うだろう、新田の杉Xxとなろう。
つまり、地吊で区別する。
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扨、京都。
白河とか、鳥羽とか、是れ、気がつくのは地吊である。
又、貴族も同様。二条とか、徳大寺とか、当然地吊である。
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明治政府は、どうも、天皇を並べて、続いているとしたかった。
で、覚えさせる、同じ吊前はまずい、で、後でもつけてみるか
となる。
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もう一つ。
七世紀ごろまでは、天皇家は強かったが、それ以降は文化財団だ。
そして、時々、個性のある天皇が出て来る。が、それは例外だ。
天皇は機関である。
日本は火事が多い。御所は良く焼けた。
で、適当な所に済む。で、そこが、機関となる。
その機関吊が、例えば、深草天皇である。文化的な機関である。
実力は無い。
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余分ながら、
日本人は、総て、天皇家と親戚・・という意見も、おかしい。
天皇家は、征朊民族と考える可きだろう。
二千年前は、多民族島であつたと思う。
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