haruharu Page 戻る -----2019年09月24日、火曜、07時23分
 
21日の土曜と22日の日、23日秋分の3日。日誌有り
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20190921日誌
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土曜。この日は中国語昼2つ。
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先ず、福祉大・
これは俺が最初に当たる。で、
少し予習も。でも季節の話から
食欲の秋の話・・これ中国語、食欲的秋では上可
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急いで、でも安全運転で、東海市。
この先生、この日最後だが・・淡々と終わる
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昼飯は、自前のおにぎり1個
家に帰り少しパンでもたべた
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後は夜、ブラタモリは比叡山・・
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d20190922日誌
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1日家に居た。
台風気味。
前日のブラタモリの比叡山
これを録画・・でも分からない。
婆が帰り、その後みた。
少し画像も撮る
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古文書として 于 だが
これ、中国語は今、これ。
でも日本語は 於 だ
この辺りが気になる
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d20190922天台法華宗年分縁起
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最澄 さいちょう
「一隅を照らさば、これ則ち国の宝なり《最澄が遺したことばである。
ほとけの心をもち、国の中のひと隅を照らしている人こそ、国の宝である、という意味である。
最澄の人生はまさに、このことばに象徴される生き方だった。
唐(中国)で天台教学を学んだ後、比叡山延暦寺を拠点に、「台密《と呼ばれる天台宗を開いた。
旧来の奈良仏教との対立。大乗戒壇の設立。そして、多くの宗派が最澄の山から巣立っていった。
最澄は、真言宗(東密)の弘法大師空海とならんで、日本の仏教に大きな足跡を残した巨人である。
その最澄が56年の生涯の大部分をすごした比叡山は、いまも1200年の法灯を燃やしつづけている。
「志の人《伝教大師最澄の人生と、人のために生きようと欲した教えに迫る。
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d20190923日誌
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写真が之しかない。しかし、昨日の事
思い出す。
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午後2時30分、出かけた。
台風は、日本海に・・
でも、曇り空。
秋分の日。
結局、行く所無しで、図書館で、
新聞、そして1冊借りる
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夕方、大婆、気分悪いと半田病院。
で、その後、婆も行く、長嶋も来る。
藤江は連絡のみで、来ない。
俺は阿久比で、中華飯。
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9時頃だったか、入院も無しでかえる
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追伸、午前、少し中国語自習進み、
で、今度の雑誌は2019年3月号
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