フリッパーズ沿革情報  

私たちの住む知多市周辺の案内を少し致しましょう。

 昭和30年代ごろまでは のどかな半農半漁の町でした。
定例会場にしている八幡公民館はいわゆる”知多郡八幡町庁舎”だったものが昭和47年改築されて市民の生涯学習の場に生まれ変わり現在に至っています。
 お隣には日本三薬師の一つといわれ 白鳳時代創建で本尊は薬師如来。天智天皇の頃、新羅国明信王の太子道行法師を開祖とする。数度の兵火などにより哀頽し、現在は三院がある。涅槃図、両界曼荼羅図、紅頗黎色阿弥陀図などの県指定文化財を所有し、一山二坊があったと伝えられる。八幡町の中心で、古くから歴史ある場所で境内には何百年もの前から市民を見守ってくれている楠などもでんとそびえ、荘厳なたたずまいの雰囲気にいだかれながら定例会を催しています。
 

法海寺本堂 法海寺本堂 その2 法海寺くすの木 知多市保存樹木
法善堂 法海寺金突き堂 法海寺十王堂 法海寺常光院

 昭和40年代の高度経済成長期になると、町や海辺の様子が一変し名古屋南部臨海工業地
帯が出現し、火力発電所、石油精製工場や製鉄工場、造船所、食料品、飼料製造工場など大
規模な工場のため海は埋め立てられ 海苔の栽培などが出来なくなったと聞いています。
 けれどもそのときに開通しました西知多産業道路を車で10分程南へ走らせますと、まだまだ
とても素晴らしい景色のスポットがあり思わずカメラを向けたくなります。
★展望スポット:城山公園(通称・大野城)の天守閣に登ると鈴鹿山系や、新しく開港した中部国際空港が望めます。

   風力発電    大野城城郭    大野城山門    大野城表門
   大野城跡    大野城主佐治氏    大野城天守閣    中部国際空港
   鈴鹿山系    南部臨海工業地帯    大野城より大野海岸を望む
   大野城より伊勢湾を望む    海岸を望む坂道

 反面、臨海工業地帯が出現したお陰で便利になったこともありました。昔から雨の少ないとこ
ろで、しかも大きな河川がありませんので、毎年水不足に悩まされ続けているので、雨乞い神事なるものが大真面目で行われてきましたが、工業用水、農業用水確保の為、木曽川の水を一旦牧尾ダムに貯め、愛知用水を引いてくるというような途方もない大事業が実現され、経済も発展し、豊かな生活を送ることが出来るようになりました。
 最初に愛知用水の計画を持ち出した「久野庄太郎さん」というかたは当時変人扱いをされたそうですが、現在では、地元ではとても尊敬され、すでに他界されてはいますが、栄誉市民にもなっていらっしゃいます。
 現在では、知多市佐布里に調整ダム湖が建設され、周辺には約25種 1,400本の梅の木が植林されて、知多市の代表的な観光スポットになっています。梅林が花真っ盛りの季節になると名古屋方面は勿論のこと全国から観光客も訪れるようになりました。
 そういえば 大事なことを書き忘れていたのですが、我 ”知多フリッパーズ”のコーラー「○木さん」は このダム湖にとても関連のあるお仕事についていらっしゃるのです。現在ではこの方々の偉大な働きのお陰で、私たち知多半島の住民の生活は安定した豊かな暮らしができているということを 忘れてはいけないのです。

   梅の木を植林    佐布里湖 (1)    佐布理湖 (2)    公園案内
   散歩スペース    梅の館    ダム調整設備 (1)    ダム調整設備 (2)