●モノクロームな時代・・・

 私は小学4年生の頃から、父のコンパクトカメラを借りて鉄道写真を撮るようになりました。
 父も鉄道愛好家でしたが、当時の口癖が「記録写真はモノクロで撮れ」でした。昔はカラーフイルムの性能が低いため、長期の保存では変色してしまうことが常識だったようです。そのため家にはいつもモノクロフイルムが冷蔵庫にストックされていました。また当時は、カラープリントの値段が高いというのも理由の一つだったように思います。

 
「名鉄モノクロ写真集」は、中学2年生当時(1977年)の自宅近く(河和線植大駅周辺)を走る名鉄電車を撮ったものです。
この頃はSR・AL・HL車がまんべんなく走っていましたので暇つぶしには最適でした。現在のようにパノラマカーがやってくると得した気分になる時代がやってくるとは、当時は誰にも想像できなかったでしょうね。当時の最新鋭車は
6000系でAL・HL車に慣らされていた利用者にとっては、まさに救世主のような車両でした。

 当時の名鉄電車は1975年から始まった
AL・HL車の「スカーレット」化がかなり進み旧塗装の車両もかなり減ってきました。
 私の記憶では転換クロスシート装備のAL車
3800,3650,3600,3500が、「クリーム色のボディにスカーレット帯」塗装から、「スカーレット」一色化されたのが早かったように思います。
 1975年に東急デハ3700が名鉄に譲渡されると知った時は
「ダークグリーン」になるのか「クリーム色にスカーレット帯」になるのか興味津々でした。ところが結果は「スカーレット」だったので腰が抜けてしまいました。
 旧型車のスカーレット塗装は瀬戸線では見られましたが本線系ではSR車の「シンボルカラー=高性能車」の証というのが定着していました。ウィンドシルのあるAL車の「スカーレット」塗装は「年増芸者の厚化粧」と酷評されたものです。現在、揖斐・谷汲線で余生を送っている
モ750も昔の「グリーン」塗装に復元されないものかと願っています。

 1977年当時の常滑・河和線は重軌条化が始まって日が浅く、常滑線の太田川以南や河和線は37sレールが主流で今では想像できないほど乗り心地がよくありませんでした。細いレールに木の枕木といった風景は今では600ボルト線区や支線末端区間でしか見られなくなりましたが、車両が良くなり、また、台車も空気バネが主流となれば、昔ほどの凄まじい揺れもなくなりましたね。
 
当時の新鋭車両6000系は車両面での体質改善の尖兵であり、幹線系の輸送力強化と支線区のサービス改善を推し進めてくれました。惜しむらくは抵抗制御車のため現在ではとかく古さを感じてしまうのがつらいところです。

(文中、アンダーラインをクリックすると「写真」(ND502氏提供)が見られます)

(文:ND502氏)

「名鉄モノクロ写真集」

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