●プロローグ −今でも“電車ごっこ”−

 『ぼくは、おじいちゃんのいえにいくのがたのしみです。それは、おじいちゃんにあえるのと、でんしゃにのるのがたのしいからです・・・』

 幼い頃、私は名古屋に住んでいた。その頃は我が家に車はなく、どこへ行くのもバス・電車だった。だから、必然と電車=名鉄が好きになった。
 男の子なら誰もが一度は「電車」を好きになるだろう。「♪運転士は君だ!車掌はボクだ!」と「電車ごっこ」などもしたりした。
 しかし、年を重ねるにつれ、興味の対象はいろいろなものに広がって行く。私も、いろいろなものに興味を示した。メンコ、プラモデル、スーパーカーなどなど。「熱しやすく冷めやすい」性格(この性格は今も変わらないが・・・)だった。そんな性格だったが、なぜか鉄道に対する情熱は冷めなかった。とにかく電車に乗れることが嬉しかった。
 なぜだろう。我が家に車がなかったことの影響は大きいと思う。しかし、それ以上に大きかったのは「パノラマカー」の存在だったのかもしれない。展望席、スピードメーター、ミュージックホーン、パノラマカーとすれ違っただけでもおおはしゃぎ。乗車した時などは狂喜乱舞だった。
 そんな幼少期を過ごし、小学6年のとき、「交通公社の時刻表」と出会い、「鉄道ワールド」は名鉄から国鉄(JR)まで広がって行く。そして中学の時、名鉄全線完乗を果たし、それだけでは飽き足らず国鉄(JR)に走る。しかし、そんな中でも、絶えず身近には「名鉄」があった。
 社会人になり、「名鉄」に対する「情熱」
も冷めかけていた頃、「インターネット」に出会う。ネットサーフィンをしている中、「名鉄」に出会い、同じ“価値観”を持った「仲間」と「オフ会」で知り合う。
 30歳を過ぎてから「友人」が出来るとは思わなかった。そして、冷めかけていた「情熱」に再び火がついた。
 今、私は、そうした仲間と「オフ会」等で活動し、親交を深め、酒を酌み交わしながら、名鉄について熱く語ったりしている。時には仕事のグチを言って見たり、不謹慎(?)な話題に盛りあがり・・・。そうした会話が話せる「友人」もできた。
 幼い頃は「夢」をたくさん持っていた。しかし、歳を重ねるにつれ、「夢」は叶わぬ「現実」になっていく。
 名鉄電車が好きであったという事実。そして新たな「仲間」との出会い・・・。忘れかけていた「夢」を「現実」に呼び戻せたような気がする。こうして私の「電車ごっこ」が再び、始まった。

(↑“究極”の「電車ごっこ」510形貸切オフ。スタッフとして参加99.11.21・写真提供:PRM)

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