●名鉄「一日駅長」体験記

 今は、行われていないようだが、昔、名鉄は「一日名鉄マン」という、日頃の名鉄利用者に、駅長、運転士、車掌など体験してもらう、という企画を行っていた。
 その企画を「名鉄ニュース」で知り、「一日運転士希望」で応募した。1987年10月、大学2年の時である。
「多分、当たらないだろう」と、応募したことを忘れかけていた頃、名鉄から一通の封書が届いた。さっそく中を開けると、「一日太田川駅駅長」の案内が入っていた。希望の運転士ではなかったが、私はおおいに喜び、その日を楽しみにした。

 当日、集合時刻に太田川駅を尋ねる。駅改札口で、その旨を伝えると、駅長室に案内してくれた。
 「一日駅長」は私以外に25歳前後の男性の計2名であった。集まったところで「任命式」が行われる。
「太田川駅一日駅長」の「辞令」と、駅長を示す“金二本筋”が入った制帽、そして「太田川駅一日駅長」と書かれた、たすきを、太田川駅長から受け取った。
 その後、早速「駅長業務」開始。我々、「一日駅長」は太田川駅長から、「駅長教育」を受ける。「62年度 駅務掛・教育計画表」という一冊の冊子を渡される。冊子の内容は「常滑線沿革の概要」「太田川駅・駅の由来」「昭和62年度駅務初等科教育計画」「新入社員の皆さんへ」など書かれている。どうもこの冊子、名鉄の新入社員の教育用の冊子らしい。冊子を使い、ポイントを絞って「教育」を受け、また、駅長の業務内容を教えていただく。太田川駅は、常滑線名和〜常滑、河和線太田川〜巽ヶ丘を管轄する「幹事駅」ということを、ここで初めて知った。

 ひととおり説明を受けた後、構内を案内していただく。
 駅長帽をかぶり「一日駅長」のたすきを掛けた我々の姿は、ホームで列車を待つ人々から注目を浴びる。少々照れくさい。知り合いに会わないように、と願いながら、行動する。
 「構内信号指令所」の複雑なパネルを見て、構内のポイントの数の多さ、それに伴う安全運行の重要性を改めて知る。
 構内案内の後、今度は常滑駅に移動。
我々は常滑行急行の「乗務員室」に乗り込む。列車は6500系だ。「乗務員室から見る景色は迫力があるでしょう」と駅長氏。確かに運転室後ろからの「がぶりつき」やパノラマカー最前列から見る景色と一味違う。景色が迫ってくる迫力が違う。
 再び、太田川駅に戻る。そして今度は昼食を兼ねて「南知多ビーチランド」に向かう。「今度はパノラマカーの運転室に乗ってもらいます」と駅長氏。
 「憧れのパノラマカーの運転席に乗れる!」私は嬉しくて舞いあがってしまった。内海行特急7000系パノラマカーが入線。我々は順番にパノラマカー側面の「梯子」を登る。「足を滑らせないよう気をつけてください」と駅長氏。梯子は思っていたより登りにくい。頭を低くして運転室に入る。運転室は思っていたより広く感じた。運転席横の「補助席」に1人座り、運転席後ろのスペースに、折りたたみイスを使用し、残り3名が座る。2階運転席には、運転士合わせて、計5人乗ることになる。

 補助席は交代で座る。運転席から見る景色は格別だ。目線が高いので、遠くまで見通しが聞く。通学で見なれた景色だが、全く別の景色に見える。
 「ミュージックホーンってどこで鳴らすんですか?」
と駅長氏に質問をする。そしたら運転士が左から2番目のペダルを踏んだ。
「パァーラーパァーパァラーパァー」
ミュージックホーンが鳴響いた。感動で頭が真っ白になった。鳴らしてくれた場所は八幡新田駅手前。とにかく夢のようなひとときを過ごすことが出来た。
 「南知多ビーチランド」で昼食。少しの時間だが、施設を見学。
 その後、特急で太田川駅に戻り、駅長室で反省会。一日の感想、利用者としての要望等をお話しする。最後に「パノラマDX」の時計付文鎮、ダイヤグラムなど記念品を頂く。また、この日、一日かぶっていた駅長帽も頂いた。
 名鉄「一日太田川駅長」体験、名鉄ファンの私にとって、まさに「夢のような一日」だった。

(写真中:常滑駅で記念撮影[一番右が筆者]) (写真下:パノラマカー運転席に乗り込む筆者)

目次に戻る