●真っ黒列車

 現在の名鉄車両のカラーはパノラマスーパー・DX・LE車などを除いてほぼ「スカーレット」一色を基調としているが、昭和50年代前半までは「ダークグリーン」「クリーム色に赤ライン」といったカラーの車両もAL・HL車中心に多数走っていた。4両・6両になると、「スカーレット」+「クリーム」とか、「クリーム」+「ダークグリーン」といったような“色違い”の混結編成なども見られたり、昔から複雑な車両運用の名鉄、さまざまな「色の組み合わせ」が見られ、それは一日見ていても飽きることがなかった。

 幼い頃、母に連れられて月に一度ほど、祖父のところに連れて行ってもらった。私と、三歳年下の弟は「おじいちゃん」に会えるのと同じくらいに「電車に乗れる」ことが嬉しくてたまらなかった。
 祖父のいる実家の最寄駅は「普通」しか停車しない。「パノラマカーは「普通」では使用されない」
(註1)、と幼心で理解していたのか、「パノラマカーに乗りたい」といったような“駄々”はこねなかった。しかし、ひとつだけこだわっていたことがあった。それは「ダークグリーン」の電車に乗ること。この「ダークグリーン」の電車を私達兄弟は「真っ黒列車」と呼んでいた。
 なぜ、「黒」なのかは自分自身、分からない。多分薄暗い新名古屋駅で見た印象が「グリーン」より「黒」に近かったからかも知れない。ちなみに 「クリーム色」の電車は「黄色い列車」だった。
 わくわくして列車を待つ幼い兄弟。「太田川行普通がまいりまぁ〜す」「プァ〜ン」と警笛の音。着た列車が「赤」や「黄色い」列車だった場合、「な〜んだ、つまんない!」といいながら乗り込む。
 それは、夏の暑い日のことだった。新名古屋駅で列車を待っていた母と私達兄弟。、4両編成の太田川行普通が入線、列車の停まった場所が、2両目の後扉のところだった。前2両が7300系冷房車。母は当然、そちらに乗ろうとするが、後2両が多分800系か3500系列だったろう、「真っ黒列車」と気付いた兄弟。兄弟は「まっくろれっしゃぁ〜!」と声を上げて、母の手を引っ張り、それに乗り込んだ。「なんで、こんなボロい列車がいいの?、前の電車は涼しくていいのに。」と母。幼い兄弟には冷房なんて関係ないかのように“涼しい”顔をして「真っ黒列車」に乗れたことでご満悦であった。

(註1:この頃はパノラマカーの普通運用はほとんど見かけなった)
(写真:ND502氏)

目次に戻る