●電気機関車(デキ)

 私は1963年9月25日に愛知県の阿久比町で生まれました。当時の住まいは河和線植大駅から徒歩3分足らずの借家でした。
 近くに都築紡績(株)植大工場(現在はアピタ阿久比店)があって、植大駅には貨物用の引き込み線があり、朝夕を中心に貨物列車が発着していました。物心ついた頃から黒い「電気機関車」に興味を抱き、線路脇まで行ってはデキと貨車を眺めていました。
 
 機関車によって警笛の音色が違ったり同じ凸型でも形が異なることに気付いたのは3歳の時でした。一番印象に残っているのは「デキ600」と「デキ400」でした。「デキ600」は大きさ、「デキ400」は箱形車体というのが最大の理由です。
 家にあった機関車の絵本に国鉄の「EF57」「EF15」などが載っていて「デキ400」と同じ機関車と思い込もうとしましたが、鉄道愛好者の父にあっさり否定されました。

 1968年10月に植大駅の貨物営業は廃止となり同時に無人化されました。河和線から「デキ」の姿が見えなくなってしまい寂しくなりました。名古屋へ家族で買い物に行く途中、太田川や大江構内に「デキ」の姿を見つけると狂喜乱舞して両親に叱られたものです。常滑線は貨物営業を長く続けていたので大江〜太田川間では貨物列車とすれ違うこともあり、常滑焼きを積んだ「ポム」(陶器車)、ふきやタマネギを積んだ「ワム」を連ねていました。


 今でこそ黒い貨車を見ることはほとんどなくなりましたが、「デキ」の黒い車体に黄色の警戒塗装(トラ柵模様)は絶妙なカラーリングではないかと個人的に思っています。ここ最近の「青いデキ」には違和感を感じてしまいます。おそらく世代によるものでしょうね。


(文・写真:ND502氏)

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