●私のHL車のイメージ
「HL車」と聞くと懐かしく思われる方もたくさんみえるかと思いますが、私個人のイメージは決していいものではありませんでした。
1970年代の河和線の普通電車といえばHL車とAL車が主流でした。AL車は外観からしてレトロなものが多く内装の古さや乗り心地の悪さは致し方ないと納得できました。
一方、HL車は外観は中途半端に新しいものですからどうしても利用者としては納得のできない車両(?)が多かったものです。主な理由を列挙しますと以下のとおりとなります。
1.全金属製車体ではあるが空調機器は3780系以外は扇風機すらない。扇風機の装備は1980年代後半から。
2.室内灯(蛍光灯)にカバーが装着されているもののSR車ほど器具が多くないので夜間は薄暗い。内装の塗色が5500系同様のミストグリーンで、薄暗さを一段と助長した。
3.台車は晩年はD-18やD-16に統一されつつあったが1970年代はブリルやボールドウィンといった舶来古典台車が主流で当時の支線区の軌道条件の悪さもあって凄まじい乗り心地を露呈した。(ごく少数であるがモ3700のND-502、ク2700のKS-106、モ3780のFS-35といった、新製台車もあったが絶対数が少なかった)
4.初期の3700系は窓枠が鋼製サッシのため窓の開閉が重かった。
5.コンプレッサーの関係か、ドアの開閉時の圧縮空気音も大きかった。
6.車体は新しくてもモーターが大正〜昭和初期製のため加速性能はAL車より劣るものが多かった。(当然と言えば当然ですが)
以上のことから支線区の利用者や準幹線系の「普通」利用者にとっては思い出深い車両でしょう。晩年は三河線や瀬戸線に集中配備されたためにAL車よりも、メジャーな存在になってしまいましたので、昔を知る者にとっては複雑な思いをしたものです。
現在、とかく6000系の批判が名鉄系ホームページの掲示板でも散見されますが、6000系の長期大量増備により支線区の体質改善が図られたことも事実です。また、3700系列のHL車の誕生も1950年代後半から1960年代前半に集中していますが、これは当時の支線区に多数存在した木造&半鋼製HL車の体質改善を主眼にしたものですから「歴史は繰り返す」ということでしょうね。
この先15年後くらいに6000系のモーター音や焼けるような臭いに郷愁を感じる時代が来るかもしれませんね。
(文・写真:ND502氏)
(写真:上から、
1番目:3700系 1980年4月、植大駅にて。
2番目:3730系 1980年4月、植大駅にて。
3番目:3770系 1990年7月、尾張瀬戸にて。
4番目:3780系 1978年3月、小幡〜喜多山間にて)
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