●ミュージックホーンの思い出

 生まれて30余年、生粋の本線系ユーザーの私にとって、名鉄の思い出といえば、「パノラマカー」ということになります。みなさんが語られるような、HL車やAL車の思い出がほとんどない私にとって、SR車群、とりわけパノラマカーに対する思い入れは、すざましいものがありました。
 母方の田舎が、本宿から奥に入ったところにある私は、子供の頃、何度も名鉄電車で、同地を訪れたものです。新岐阜を発着する「座席指定特急」や「高速」などは、パノラマカーをはじめとする
SR車が、幅を利かせていました。ホームに止まっている車両が、5200系や5500系の時は、母にせがんで、後続に来るであろうパノラマカーをホームで待つこともしばしば…急ぐ母を辟易させたことを思い出します。加えて先頭車両にしか座りたがらない私のために、改札口からホームの最先端まで歩かなければならなかったのも、さぞ大変だったと思い返します。

 当時の新岐阜駅は、
1番線と2番線は6両対応ホームでしたが、3・4番線は4両しかとまることができなかったと記憶しています。速達、優等列車は、12番ホーム発着だったことを、この文章を書いているうちに思い出しました。
 始発駅でしたので、必ず先頭の「かぶりつき」をキープして、一路本線を岡崎方面に向けて、まるで運転士気分になったような気持ちで疾走する。誰もがあこがれた光景を、2、3ヶ月おきに体験できた私は、幸せものだったかもしれません。その中でも強烈な思い出(現在進行形ですが…)として残っているのがスピードメーターとミュージックホーンでした。

 パノラマカーの先頭車といえば、この二つが、今風に言えば、「強烈なアイテム」で、その魅力というか魔力は、私を含んだ子供たちに熱い夢を、分け与え続けたと思います。当時のスピードメーターは、今のそれと違い、「ニキシー管式」のメーターで、よく壊れたり、数字が欠けたりしていました。先頭車両の中央に「デンと」鎮座していたことを記憶している人は多いのですが、運転席の下、前扉のところにも、同じものが装着されていたことを記憶している方はどれだけ見えるでしょうか。そのメータの、スピードの増減に一喜一憂したことが昨日の事の様に思い出されます。
PRMを製作中に知り合ったND502さんから、ニキシー管式のスピードメータの写真を頂いた時の、感動といったら、時代がタイムスリップしたような気分になりました。

 パノラマカーは、今後10年以内に、ほぼ全廃がうわさされていますが、1編成くらいは、当時の装備(ニキシー管式スピードメーターを含む)で、動体保存することを願ってやみません。パノラマカーが昭和36年に誕生して以来、何年の月日が流れたでしょうか?名鉄をはじめとする各社が、車両開発に励んできましたが、いまだにこの車両を越えるアコモを持つ車両は、登場してこないのではないでしょうか?


 東岡崎で列車を乗り換え、本宿駅へ・・・そこも当時は地上駅で、古いモダンな駅舎でしたが、今では高架化され、当時の面影は、まったくなくなりました。とはいえ、高架下には、当時の駅舎の模型が残っていて、見ることができます。まだご覧になっていない方も、ぜひ、機会があれば、ご覧下さい。本当に「モダン」(大正ロマンみたいな感じ)という言葉が。似合う旧駅舎(今ならさしずめ太田川駅のような感じ・・・)でした。


 パノラマカーといえば、もうひとつの武器、ミュージックホーン。子供のころは、運転士さんが、駅を通過するたびにずいぶん鳴らしてくれましたが、現在では沿線の宅地化が進んだせいもあるのでしょうか?。その回数はめっきり減ってしまいました。先日、テレビで昭和40年代のドラマの再放送を見ていました。その中で小田急ロマンスカーが、ミュージックホーンを鳴らしながら、新宿の街の中を走り抜けていく光景が映し出されていました。しかし、騒音訴訟などのためか、現在では装置そのものが撤去されたと聞きます。名鉄のパノラマシリーズに、そのような事態が起きない事を願ってやみません。ミュージックホーンは名古屋を代表する「音」なのですから…

 ミュージックホーンといえば、列車と自動車の併用橋である犬山橋でその音を聞くことができますが、この3月末には、新橋完成に伴って、車と列車が分離、ミュージックホーンスポットが一つ減ることが残念でなりません。分離以降は、岐阜県内でミュージックホーンを聞けるスポットは、笠松駅だけになりそうです。かつては、私の最寄駅、境川(現岐南)でも聞かれましたが…これも時代の流れでしょうかね。

(文:木村吉宏氏)

※パノラマカーのミュージックホーン(7000系・7004編成) PRM提供)

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