●「準急」の思い出

 準急という種別は瀬戸線以外ではなくなってしまいましたが、10年以上前は「高速」同様、本線系にもありました。
 私のよく乗った河和線では準急として運行される列車はごく少なく、朝の通勤時間帯のみあったように思います。「準急」の種別表示をしていても実際は区間準急のような運行が多く、大半は河和線内は「普通」で常滑線内(太田川〜神宮前)を準急として走るものでした。
 中学・高校時代に自宅の最寄り駅である植大から名古屋へ行く場合は太田川まで「普通」の「準急」によく乗りました。当時は「阿久比駅」開業前でしたので緩急結合は太田川でした。車両の多くは
AL・HL車が多く、徐々に6000系も運用に就いたころ(19771981)です。

  この「準急」は知多半田始発で、太田川まで各駅に停まり、太田川から準急となりますが、途中で特急と高速に追い越されるために普通停車駅の「聚楽園」には停車しました。ダイヤが乱れたときは大江まで先行して後続に道を譲る運用もありました。太田川〜神宮前間の準急停車駅は、「柴田」「大江」でしたが後に「大同町」も加わりました。
 真夏の暑いときは非冷房の「準急」や常滑発の「高速」を敬遠して太田川〜新名古屋のわずかな区間でも
200円の特急座席指定券を太田川のホームで買い求めて河和発の特急に乗り換えることが多々ありました。涼しくて座れるというだけで十分、付加価値のあった時代です。

 

 

 

 

 

 

(文・写真:ND502氏)

 

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