フルタイムであれば、最短で3年、パートタイムであれば、最短5年で修了できます。実は、規定の期間で修了することは相当骨の折れることでして、私のパートタイムの場合でも、バイバーで合格を言い渡されたあとに、審査官より、「よく5年で修了したね」というねぎらいの言葉をいただけたほどです。実際、パートタイムでも6、7年かかるのはよくある話だそうです。今にして思えば5年で修了するよう私をせきたててくれた一番の原動力は、一年延長するたびに支払う学費の負担のことだったように思います。もしのびたら、家内にどう言い訳しようか、結構悩んでいました。

 さて、この5年間の研
究の進み具合についてお話したいと思います。まず、大変だったのは、アップグレードになかなか至らず、結局3年半かかりました。この段階で、100ページほどです。

 アップグレードが3年半もかかったのには、それなりの理由があります。パートタイムですと、まず渡英して、指導教官の指導つまり、スーパービジョン(単にミーティングとも言うのですが)、それを受けなくては論文が進みません。そのスーパービジョンのやり方も指導教官によってさまざまです。私は指導教官が Tony McEnary氏でした。余談ですが、NHKの英会話番でおなじみの投野由起夫先生もこのトニーが指導教官で、私が最初にレジストした時に、投野先生が提出したばかりのPhD論文を手にして、「これから審査するんだ」と言っていたことはとても印象に残っています。投野先生は、フルタイム3年で取られたようです。

 さて、そのトニー氏が好んだ指導方法とは、我々学生が書き上げた原稿をその場で手直しするというものでした。内容についての質疑応答ができるのがその利点です。最初のころは、まず作文力がチェックされます。私の目の前で1ページずつ読みながら朱をいれてくれるわけですが、それを待ちながら時に質疑応答となり、結構緊張が走ります。書いた内容か、あるいは英文そのものに難があり、一回のミーティングで1ページも進まないこともありました。あるページはまるまる彼に書き直されたこともあります。それでもやっとこちらの調子が上がってきたころにタイムリミットとなり帰国するわけです
から、最低3週間はいて欲しいと愚痴られたりもしました。そのようなこともあり、滞在期間を長くとることを余儀なくされました。結局5年間で19回出かけ、ランカスターでの滞在も最初は1,2週間でしたが、最後の2年は、春休み3週間、夏休みはまるまる1ヶ月の滞在で、5年間でのべ8ヶ月間の滞在となりました。この中には、国際会議での発表も含まれています。自分としては、研究成果を早くまとめたかったので、機会があれば、国際会議等で発表をしていました。その2へつづく
 
ざっと、こんな流れです。

 まずアメリカとイギリスではPhD取得のためのシステムが違っています。私は英国のランカスター大学言語学科でとりましたので、主にイギリスでの話となります。まずアメリカのようにコースワークはありません(最近ではtaught courseもできましたが)。入学当初は、PhDではなく、MPhilの学生として登録されます。そして1年ほど経って、writing evidenceという論文を提出します。特に語数の規定はないですが、A4ですと100ページほどが普通かと思います。

 提出後少ししてから、論文の内容について学内の二人の審査官による口頭試問を受けます。PhDにアップグレードする資格があるかどうかの審査で、それゆえwriting evidenceといわれます。どういった内容の論文に仕上げるかは、指導教官の考え方によりますが、一般的には、PhD論文の前半のチャプターを書くということになります。その場合、アップグレードに合格すれば、そのまま、書き続ける続けることができます。私の知り合いで、アップグレードが終わった後に全く最初から書くように指示を受け、少しめげたということも聞いています。それでも書く力があれば、結局期間以内で書き上げることができます。そして最終的にPhD論文を仕上げ、それを提出して、今度は、内部審査官、外部審査官それぞれ1名からなる、バイバーという口頭試問をうけ、その最後に合否を言い渡されます。合格であっても、私のように修正を求められることもありますし、文句なしに合格ということもあるようです。

Miscellaneous


優雅な田舎、ランカスター


MPhilはマンチェスター大学にて



息抜きといえば旅行