■オペラが難解というのは嘘ですだ■
誰がオペラは難解な物だなんていったんでしょうか。 ファンでない人達はオペラは理解できないものだと思い込んでいる場合が多いと思いますが、ハッキリ言って簡単です。 舞台劇に歌がついたのがオペラです。ほんとそれだけです。 |
■イタリアオペラとドイツオペラはどう区別しているのか■
歌っている言葉がイタリア語かドイツ語かの違いです(笑) ……。 というのは事実なんですが、違いはそれだけではありません。 イタリアオペラは恋愛物が中心で、ドイツオペラは神話・ファンタジーが中心です。どうしてそうなったのか…これはその国の人がどんな話に惹かれるか〜という国民性の違いではないでしょうか。イタリア人はやっぱり恋愛物が好きなのでしょうね。ドイツオペラはほとんどワーグナーの独壇場の気がします。私が思うには、ドイツオペラの原型は魔笛だと思っていますが…。厳密に言ってしまえば魔笛はジンクシュピール(歌芝居?)という部類でオペラではないようなんですが、本当のところ最初の作品は何なんですかね。 |
■演出家はなにしてる人なのか■
クラシック音楽というと、指揮者は思い浮かべることが出来ると思います。では演出家は? オペラには演出家が居ることは知っていると思いますが、一体何をする人なんでしょうか。 オペラ初心者の頃は役割を知りませんでした。 劇の全体を見て役者の動きとかをチェックしているのかな〜なんてぐらいしか分かりません。 演出家とは、舞台の色付けというか、視覚的な分野の指揮者みたいなものです。同じオペラでも解釈が違えば、当然舞台上の背景だとか、衣装だとか、役者がいま思っていることだとか、全部違ってきますよね。そういうものを一人の解釈で統一する仕事が演出家なんでしょう。英語で言えば、ディレクターです。 で、人によって演出法方が違うようです。 ある演出家は役者に、演じるキャラの心理状況を詳しく説明してから演技させるメソッド方式(と言って正解なのか?)を使い、ある 演出家は、バレエのような振り付けをあらかじめ与えて、動きの美しさを魅せる方法で舞台を作るのです。 もう少し違う方法で作る人もいるかも知れませんけど。 どうも演出家にもピンからキリまで居るようで、いい仕事をしている演出家の方が多いと信じていますが、中には怪しい人もいるようです。 いろんな人の意見を集めてつなげただけの、ごった煮の演出家が少数居るようです。クリエイターとして残念すね。 |
■ジャン・ピエール・ポネル■
ポネル演出のフィガロを観たことがあった。あれはウィーンのシュタッツオーパー(国立歌劇場) だった。漫画的な演出に見えたけど好きだなあと思った。規模は小さいけど、なんともかわいい。 建物の雰囲気が、おっスペインじゃん〜(笑)でよかった。わりとスペインぽくない感じの演出が多いのね。 |
■こうもりはウィーンでみるのだ■
日本でもよくウィーンのシュタッツオーパー(国立歌劇場)のこうもりはやってきますね。豪華な舞台です。 でもウィーンでやっているものと同じオペラがやってくると思っている人もいると思いますが、実はそうでもないんです。 演出も同じですし、キャストもほとんど同じだと思います。 海外公演だからと手を抜いているわけでもないですが、かなり違うと思っています。 その舞台が育ってきた場所で演じられるか、そうでないかの違いだと思います。 周りの環境がぜんぜん違うのです。 観客の反応の違いもそうです。 日本の観客とウィーンの観客は「こうもり」を観ているとき全く違います。ウィーンの観客にとって「こうもり」は、ウィーンなまりで喋っている、ご当地オペレッタです。 日本のお客は、おすまし顔で上品に観劇しているでしょうね。フォルクスオーパーのような、どちらかというとくだけた感じのするオペレッタを観ていても日本の人たちは上品です。 その上品さがなぜか違和感を感じるのです。 |
■パパゲーノは三番叟だ■
三番叟って知っていますか?日本のめでたい時に行われる舞台です。 「魔笛」の中に出て切るパパゲーノというキャラクターは三番叟にそっくりなんですよね。神事の鈴といい、鳥の羽根の衣装といい。王子のタミーノは日本の狩衣を着ているということらしいので、やっぱりパパゲーノは三番叟なんだね。 |
■冬の旅■
振られたばかりの若い男が、傷ついた心を引きずって不毛な冬の大地を旅して行くという歌。 よく似た歌に「美しき水車小屋の娘」というのがあるが、水車小屋の娘は、最初弾んでいた気分が段々嫉妬になって最後に悲嘆に変わって最終的に入水自殺で終わるが(ひぇ〜)、冬の旅は振られたところから始まっていて、最初から灰色一色の世界で、ふらふらとさまよっているのに自分の居場所はなくて、みずぼらしいライアー回しに自分も彼のようにさまよいつづけるのだろうか?と尋ねるところで終わる。 現代の感覚から言ったら、聴く人いるか?と思うようなもんのすごーく暗い歌だ。 でも美しい歌だ。 たまに女性歌手が歌っているが、この歌に女性の声は似合わない。もっと細かく言えばテナーさえも似合わない。バリトンくらいの重い声でないと絶望感が出てこない気がする。高い声だと光明が見えてしまう。 どんなにうまい人が歌っても、バリトンやバスでアヴェマリアが似合わないのと同じだ。 伴奏はピアノのみ。ピアノというのがこれまた心の痛みをよくあらわすことの出来る楽器だと思う。 打楽器の、打つ音が痛く感じるんだろう。奏でるや吹くでは出ない表現だからね。 シューベルトは地味な人だったらしいが、彼の音楽は可憐だったり、悲惨だったり、とにかく美しい。 絶望を歌わせると右に出るものは居ないんじゃないかというくらい陰に入ってくれる(笑)。彼の代表作はドイツリートが多いけど、楽器のみの音楽にも興味は尽きない。特に好きなのは「死と乙女」。ヴァイオリンが印象的な弦楽器っぽい雰囲気の曲だ。クリムトの友達エゴン・シーレの絵にも同じ題の作品がある。あの時代の芸術家に共通する題材だったらしくて「死と乙女」という題名の作品は多い。 |
■美しき水車小屋の娘■
美しき水車小屋の娘の歌の中には「緑色」がやたら出てくる。 主人公(粉ひき職人)が愛している少女の好きな色も、リュートにかかるリボンも、主人公が埋まってしまいたいと思う芝生の色も、全部緑なのだ。なぜその色でなくてはならなかったのか?ピンクではダメだったのか?これは他の色ではダメだったはずだ。 あくまでも私の推論なので気にしないでほしい。前置きで防衛戦を張っているのも気にしないでほしい…(笑)。「緑色」は心理学のみどり色だ。「嫉妬」の象徴の緑色だ。主人公が少女に振られて、世界が少しづつ緑色になっていく。粉にまみれて「白い」と表現していた朴訥な自分自身も緑の芝生に埋まりたいと思いはじめる。緑一色になったとき、その中にいることが耐えられなくなって彼は川に沈んでしまうのだ。 |
■モーツァルト レクイエム■
最近有名になったレクイエムは…ヴェルディだったっけ?いろいろな作曲家が書いているが、映画アマデウスの影響でモーツァルトのレクイエムがいちばん好きだ。餓狼の最後に使われていたらしいし。これを書いている最中で亡くなったというのもドラマっぽくて語り継がれている。作曲を依頼された謎の使者におびえて、殺されるかもしれないとか言いながら本当に死んでしまったのだ。 レクイエムの意味は「安息を」で、この言葉から始まる死者のための宗教音楽だ。 「涙の日」のメロディはすすり泣きのようだと言われている。 |
■カルミナ・ブラーナ■
誰もが一度はCMか映画の曲として聴いたことがあるんじゃないかという有名な合唱曲。でも途中はあまり聴く気がしない。最初と最後の曲だけものすごいインパクトがある。 |
■魔笛■
魔法の笛という題からわかるように、ドイツのメルヘンかファンタジーといった感じ。イメージ的にはネバーエンディングストーリーの雰囲気に近い。まっミヒャエル・エンデも魔笛を踏まえてあの作品を作ったと思うけどね。 密かに好きなシーンは、二人の門番が門の前でタミーノ王子を迎えて歌うあの歌だ。甲冑を着た二人が歌いだすとかっちょええーと言いたくなってしまう(笑)。 あらすじは、タミーノ王子が大蛇に襲われていたのを夜の女王の三人の侍女が助けて、そのとき夜の女王の願いによってさらわれた彼女の娘のパミーナ王女をザラストロの手から救う誓いをしたんだけど、実は悪者は夜の女王の方でザラストロは賢者だった。タミーノ王子とパパゲーノはザラストロのところで修行をすることになったんだけど、真面目に修行するタミーノ王子は次ステージに進むことができるが、ダメダメなパパゲーノは迷ってしまう。修行中のタミーノ王子の前にパミーナ王女があらわれるが、沈黙の修行なのでパミーナ王女の問いに答えられなくて苦悩するタミーノ王子をみてパミーナ王女は自分から心が離れてしまったと勘違いをする。でも結局タミーノの最終試練の場にパミーナもやってきて、二人で試練を乗り越える。パパゲーノは何だかんだ言ってパパゲーナというよく似た奥さんをもらう。タミーノとパミーナとザラストロ一団によって、夜の女王とその手下は一瞬で消え去る(ご都合主義だ…)。 シャガールが舞台・衣装関係のデザインをやってた魔笛があって、デザイン画を見ると楽しくなってしまう。そのときにパパゲーノ役をやっていたのがヘルマン・プライ。 でもいろいろな国のキャラクターがごちゃまぜなんだよね。 タミーノは東洋(日本らしい)の王子らしいし、パパゲーノもどう考えても衣装や鈴からして三番叟だし……。ザラストロはゾロアスターのドイツ読みだし。夜の女王はドイツで昔から語り継がれている妖精というか魔女〜なので、ホントごちゃまぜだよね。 そう思うと大蛇ってやまたのおろち? |
■影のない女■
リヒャルト・シュトラウスのオペラなんだけど、最近まで忠実に再現できなくて困っていた作品。小屋が大波に飲まれるとか、染物師バラクが手をかざすと天から剣が降りてくるとか、まぁそりゃ難しいわな〜という設定が満載なのだ。 それを一気に解決してくれたのは市川猿之助だ。あのスーパー歌舞伎や、古典の曲芸の歌舞伎をやっている彼がそのノウハウを使って表現してくれた。 いままでの慣習では鳥役の歌手は舞台上に出てこないか、出てきてもパパゲーノくずれのような格好だった。が、そのとき出てきたのは赤い翼を手に付けたジュディ・オングのような(笑)平安時代の近衛兵風の鷹だった。 市川猿之助の扮する義経千本桜のキツネは身が軽い。 |
■さまよえるオランダ人 ■
永遠の命で海をさまよい続ける呪いをかけられた幽霊船の船長の話。 |