排尿開始力について(排尿障害専門医向け)
以下、エビデンスの無いまとまりの無い話題ですので、話半分で楽しんでいただければと思います。
残尿量は、一つのパラメータではあるが、様々な因子の影響を受けており、なかなかとらえどころの無い指標です。さて、個人的にはその残尿が出現する理由のうちの一つに、排尿を開始する能力が関係すると考えているのですが、そのことに対する報告は見聞きしたことがありません。
非常に単純な理論ですが、排尿効率が悪くて残尿が発生したとしても、排尿後に再度排尿を試み、なんどかそれを繰り返せば、その残尿は無くなるはずです。しかしそれでも残尿が出現すると言うことは、膀胱内にある程度の尿量がたまっていないと排尿ができない場合があると言うことです。
実際、高齢者では、尿意が無いと排尿できない患者さんは珍しくありません。また、過活動膀胱が合併していれば、いわゆる“からぶり”症状という、尿意を感じてトイレに行ったがトイレにつく頃には尿意が消えてしまいトイレで排尿できなかった、という現象が起こります。逆に、残尿が無いのに頻尿があるというのは、排尿を開始する能力は十分に維持されていると言うことです。
若年者では膀胱内にほんのわずかな尿がたまっているだけでも排尿をすることができます。若年者では尿意が無くても排尿ができるのでは無く、膀胱にほんのわずかにしか尿がたまっていなくても尿意を伝える神経活動は動いているが、無意識に尿意を抑制することができるため、尿意としては感じていないだけなのかもしれません。
昔、After Contractionという現象が議論された時代があったそうです。明確な病的意義が見いだされず議論がすたれていったそうです。排尿が終わって膀胱が空になっているのに、再度排尿筋収縮があるということは、排尿開始力が十分にあると言うことを表しているのかもしれません。
さて、この排尿を開始する能力は、何に規定されて決まるのでしょうか。昨今では動物実験等の結果より、過活動膀胱は加齢等によって低活動膀胱になっていく過程の途中の状態であるという考え方が出てきています。その根底にあるメカニズムには虚血が深く関与していると推測されていますが、詳細についてはまだまだ謎に包まれています。個人的には、尿意がこのあたりに関わってきているのでは無いかと思っています。つまり、過活動をへて低活動に至るメカニズムとは、除神経過敏という現象なのでは無いでしょうか。話がそれますが、正座をして足がしびれてしまうとき、完全に足の感覚がしびれてしまう前に、知覚過敏の時期が存在します。腰椎麻酔などでも同様の現象が起こります。尿意の減弱がまだ軽いうちは、かえって過敏となり過活動膀胱症状を引き起こします。しかし尿意の減弱が進むと、相当に尿がたまっていないと尿意を感じないため、排尿を開始することができなかったり、もしくは開始した排尿を十分維持できなくなったりするのかもしれません。
尿意が減弱すれば、尿意を我慢する能力も低下すると思われます。すると、過活動膀胱症状はより悪化します。UDSで排尿筋過活動が出現し膀胱内圧がかなり高くなって初めて尿意を訴える患者さんは珍しくないと思います。この現象は尿意の亢進ではなく減弱を表していると思います。尿意が減弱しているから、尿意の抑制が減弱し、そのため排尿筋過活動が出現し、高まった膀胱内圧を尿意として強く感じると言うことです。
これら様々な現象が複雑に絡み合いながら、加齢によってDHIC(過活動膀胱+低活動膀胱)が進行してゆくのかもしれません。
どの程度の量の尿がたまっていれば排尿が開始できるかを調べ、年齢や過活動膀胱の有無で分類すると、差が出てくる様に思います。Convinience to voidという表現で尿意の無い排尿を調べた論文がありますが、尿意の無い排尿を積極的に行わせ、排尿が開始できる最小の尿量を調べてみてはどうでしょう。若年者はほぼゼロでしょうが、高齢者では徐々に量が増える様に思います。