北の庄城址・柴田公園
福井県福井市
2012年8月28日訪問
中学・高校生の時代(1955年〜1961年)、この近くに親戚が2軒あり、時々訪問していた。1軒は歯医者で、虫歯治療で通ったので、あまり良い思い出はない。もう1軒は母方の曾祖父母が住んでいて遊びに訪ねていた。近くに神社があり、家の前は小さな広場だったように思う。当時は何の興味もなかったが、これが柴田神社と柴田公園だったのだろう。
柴田勝家が築城した北庄城として脚光を浴び出したのは近年である。半世紀ぶりに訪ねたこの地は、大きく変貌していて、当時の親戚の家はすでに無くなり、北の庄城址・柴田公園として観光地化されていた。
北の庄城址・柴田公園には柴田勝家が築城した北庄城の天守があったとされている。北庄城は天正3(1575)に築城がはじまり、織田信長の安土城天守(7層)をしのぐ、9層の天守閣をもつ日本最大級の城だったと記録に残っている。
柴田神宮鳥居 発掘調査で出て来た北庄城石垣
園内には、勝家公、お市の方、三姉妹(茶々、初、江)の銅像が建てられているが、配置がバラバラ。後から空地を見つけ、追加設置したものであろう。
勝家公 お市の方 三姉妹像(茶々、初、江)
慰霊碑 柴田神社拝殿 北庄城復元模型
九十九橋の橋脚
九十九橋(つくもばし)は、北陸道と足羽川が交わる地に架けられた橋だが、江戸時代には半石半木の珍しい橋として全国的にも有名だった。半石半木とは、橋の南半分が石で、北半分が木で造られるという構造のことを意味している。
柴田勝家公資料館
北の庄城天守閣鬼瓦・勝家公の馬標・木製仏像(不動明王と毘沙門天)・宝刀・勝家公の制札と禁制・勝家公古文書等が展示されている。
勝家公の子孫であるとされる
日本画家、平山郁夫氏の絵
舟橋の鎖
舟橋とは、川に舟を幾艘も並べて、その上に板を渡すことで架けられる橋のことを言う。古くから舟橋は造られており、全国的にも地名などにその痕跡を読み取ることができる。
2階展示室
勝家とお市(於市)の歌碑
【勝家公の世辞の句】
勝家はお市の方や家臣達と別れの杯を交わし、思い思いに郭に入り自害せんとした時に、遠くに止まった郭公(ほととぎす)を見て、お市の方は
さらぬだに打ぬる程もなつの夜のわかれをさそふほととぎすかな
と詠み、これを受けて勝家は、
夏の夜の夢ぢはかなき跡の名を雲井に上よ山郭公(やまほととぎす)
と詠んだものが世辞の句となっている。(太閤記)
親戚2軒があったと思われる近辺の風景。平屋、2階建ての木造の家が並び、狭い路地があったが、その面影は全くない。