名勝 養浩館 庭園
2013年7月19日
市民の憩いの場所として、また観光の名所として親しまれている名勝養浩館庭園は、江戸時代には「御泉水屋敷」と呼ばれ、福井藩主松平家の別邸であった。御泉水屋敷の成立時期については明らかでない点が多いが、元々この場所は、藩の重臣永見右衛門の屋敷地で永見氏が2代藩主忠直に成敗されてより藩主の別邸になったと伝えられている。御泉水屋敷の文献上の初見は明暦2年(1656)で、4代藩主光通の側室が御泉水屋敷において男子(権蔵)を産んだと福井藩の歴史書である『国事叢記』などに出てくる。この御泉水屋敷が今見るような姿に整備されたのは7代藩主昌明(のちに吉品と改名、元5代藩主昌親)の頃とされている。吉品は従来の御泉水屋敷である「本御泉水」の改造・整備に加え、西隣に「新御泉水屋敷」を建て自らの隠居所とした。この時、御泉水屋敷の敷地は最も広くなり、今の養浩館庭園・お泉水公園・歴史博物館を合わせた程の大きさとなった。吉品没後の御泉水屋敷は、茶会・饗応の席や藩主一族の休養の場、住居などとして使われたようだが、その規模は新御泉水部分を縮小した元の御泉水屋敷の敷地に戻った。また幕末頃には洋式銃の製造所が設けられるなど時勢を反映した使われ方もしたようだ。
明治時代、廃藩置県によって福井城は政府所有となるが、御泉水屋敷の敷地は引き続き松平家の所有地として、その福井事務所や迎賓館としての機能を果たした。明治17年には松平春嶽によって「養浩館」と名づけられ、その由緒については由利公正が明治24年に「養浩館記」を記している。また養浩館は、その数寄屋造邸宅や回遊式林泉庭園が早くから学会で注目され、すでに戦前に建築史・庭園史の専門家による調査がなされている。
昭和20年の福井空襲により惜しくも養浩館は焼失し、その後は長く本格的な修復は行われなかったが、昭和57年、国の名勝に指定されたのを機に、福井市によって復原整備が計画された。江戸時代の文政6年(1823)に作られた「御泉水指図」を基本に、学術的な調査と復原工事が進められ、平成5年に完成、一般に公開された。
東門入口 水面に映える御茶屋
建物の中心となるのは池の東岸に配された「御茶屋」と呼ばれた屋敷で、主座敷となる「御座ノ間」とその南東に設けられた「御月見ノ間」等から構成される。そしてその北には廊下でつながれた「御湯殿」、東には「御台所」が付属している。「御茶屋」は数奇屋造建築で、柿葺<こけらぶき>寄棟のむくり屋根で覆われている。
「櫛形ノ間」
西の池に面して花頭くずしの連窓がみられ、これが櫛を連想させることからこの名があるとされる。西陽がこの場所を照らせば、池からの反射光も天井に差込み、明るく朗らかな気持ちにさせてくれる。
部屋の中から外を眺めると池の上にいるような錯覚を受ける。
「御次ノ間」「御座ノ間」
「御座ノ間」はこの屋敷の中心となる座敷。池と向かい合うように西向きの構成をとっている。柱は杉丸太、天井は棹縁椹<さわら>板張りで、典型的な数寄屋造構造の座敷。
右写真は「御座ノ間」床と出書院で、出書院の麻の葉模様の欄間<らんま>は桑材の一枚板で、精巧緻密な透彫になっている。
「御次ノ間」
池に面した土縁には那智黒の小石を敷き、白大理石の手水鉢が据えられている。
土縁を歩くと、池の大きな鯉が餌を求めてやって来る。
「鎖ノ間」「鶏鳴ノ板戸」
御座の間の背面に位置する部屋。西北面に折りまわす浅い床・棚を配し、また、廊下境の間仕切りに入れた透彫欄間付杉戸には鶏が描かれている。
「御月見ノ間」
まず東側の月見台より清流の遣水とともに月の出を眺める。南側の枯山水を見ながら時を待てば、やがて西側の出書院から池に映る月を望むことができる。庭園の景色や福井城本丸を借景としながら、優雅なお月見の時間を過ごすことができたことだろう。
右写真は「御月見ノ間」の床と脇棚で、棚は螺鈿作りの装飾的なもの。
「御湯殿」
風呂を備えた御湯殿とその前面の御上り場、後方の釜場となる土間からなる。池に面した場所には竹簀子縁が張り出し、また御上り場は東にのびる池をまたいで造られている。
右写真は御湯殿からの庭園の眺め。しばし眺めていたら、大きなやぶ蚊に刺されてしまった。この時期は蚊取り線香が必要だ。当時の人達はどのように蚊の対策をしたのだろうか?
 部屋からの庭園眺望
池側の部屋からの眺望は、どの部屋からも美しい。
当時の人達がここで優雅なひとときを過ごしたであろう情景を、しばし思いやる。
庭園を一周する
庭園は、大きな池を中心とした回遊式林泉庭園<かいゆうしきりんせんていえん>。広い水面に対して立体的な変化をもたせるさまざまな工夫がなされている。岸辺の周遊や舟による鑑賞、また屋敷内からの眺望も考慮していると思われる。
遣水<やりみず>
屋敷の東南部から芝原上水を、遣水のように蛇行する幅広い水路で池に引き入れていた。なお現在は水路の幅が狭められ、池の水も芝原上水ではなく地下水をくみ上げて利用している。
御座の間に続く飛石遣水にかかる自然石の石橋
左写真
この飛石には、美しい節理を持つ三国産の「安島石」が使われている。
右写真
全国的に見ても最大級の自然石の石橋。

 
臼の茶屋の蹲踞<つくばい>
丸い井筒の手水鉢は笏谷石製で清水が湧き出るように底に穴があけられている。

 
池北西の景観
動物が座っているようにも見える岩島が、景観のアクセントになっている。岩の周辺には玉石が州浜状に敷き詰められている。池から流れ出る水路には曲線の美しい切石橋が架けられている。