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カモンワーフ 関門自慢の海の幸を中心としたレストランや土産物店が立ち並ぶシーサイドモール。ボードウオークからは関門海峡が一望できる。関門海峡の潮騒と汽笛は、「残したい日本の音風景百選」に選ばれ、一帯は壇之浦の合戦・武蔵と小次郎の巌流島決闘など歴史に彩られた「海峡劇場」とされている。目前に立つ赤と白の灯台は「恋人灯台」と呼ばれ、ロマンチックな伝説を秘めている。 |
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唐戸市場 唐戸市場はふぐの市場としてはもちろんのこと、タイやハマチの市場としても有名。地元の漁師さんたちが獲得したり育てた魚も直接販売しており、地方卸売市場としては全国的にも珍しい販売形態を行う市場。農産物の直売所もあり、漁業者や農業者が軒を並べて販売している。また、あらゆる食材を取り揃えた「総合食料品センター」としての役割も果たしており、季節を織り成す食材で活況を呈している。現在は、毎週末と祝日に「活きいき馬関街(ばかんがい)」を開催中。この「馬関街」は魚食普及を目的に魚を楽しんで食べてもらうための飲食イベントとして開催しており、旬の魚をリーズナブルにお買い求め頂けるほか、多数の海鮮屋台が出店し、出来立ての魚料理を味わって頂ける、目にも舌にも楽しいイベントとなっている。 ウニ・イクラ丼と海鮮丼を食べたが、安くて美味い! |
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赤間神宮 壇ノ浦の戦いにおいて幼くして亡くなった安徳天皇を祀る。江戸時代までは安徳天皇御影堂といい、仏式により祀られていた。平家一門を祀る塚があることでも有名であり、「耳なし芳一」の舞台でもある。文治元年(1185年)の壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の遺体は現場付近では発見できなかったが、赤間関(下関)に建久2年(1191年)、勅命により御影堂が建立され、建礼門院ゆかりの尼を奉仕させたのが始まりである。以後、勅願寺として崇敬を受けた。明治の神仏分離により阿弥陀寺は廃され、神社となって「天皇社」と改称した。また、歴代天皇陵の治定の終了後、安徳天皇陵は多くの伝承地の中からこの安徳天皇社の境内が明治22年 1889年7月25日「擬陵」どして公式に治定された。天皇社は明治8年(1875年)10月7日、赤間宮に改称し、官幣中社に列格した。昭和15年(1940年)8月1日、官幣大社に昇格し赤間神宮に改称した。第二次大戦により社殿を焼失し、昭和40年(1965年)4月に新社殿が竣工した。 |
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水面に映える朱色の神殿 | 耳なし芳一 | 平家一門の墓 | |
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宝物殿・安徳天皇像 | 多宝塔 | ||
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日清講和記念館 | 史跡・春帆楼 | ||
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火の山展望台 瀬戸内海国立公園に含まれる展望台。急流渦巻く関門海峡を見下ろす山頂に建つ。360度広がる大パノラマ、対岸に九州が見え雄大な景色が広がっている。春にはサクラやツツジが咲く名所としても知られている。ここへのアクセスは有料道路で。レストランや売店もあるので景色を堪能しつつお土産も探せる。 関門海峡を見渡す展望台で景色を堪能。 |
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みもすそ川公園 公園前に広がる海は関門海峡の一番狭まったところで「早鞆の瀬戸」といわれ、潮の流れが速く、潮流の変化が激しい海の難所。壇之浦古戦場を一望できるこの場所は、二位の尼辞世の歌から地名が生じたといわれ、当時を偲ぶ石碑や歌碑がある。また、ここは幕末の攘夷戦で、外国船に砲撃した砲台跡である。 公園内には源義経・平知盛両雄の像や長州砲のレプリカ5門などがある。ここで源平最後の戦い 壇ノ浦合戦絵巻の紙芝居を見る。 |
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長州砲 | 関門橋 | ||
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平 清盛 | 歴史体感紙芝居 源平最後の戦い 壇ノ浦合戦絵巻 | ||
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関門トンネル人道 1958年に21年の年月をかけて完成した、下関と門司をつなぐ関門トンネル。エレベーターで地下約50mまで降りると約780mの人道トンネルがあり、歩いて約15分で本州と九州を行き来することができる。壁には海草や魚、天井には朝、昼、夕、夜の空が描かれていて、夜の空は星が光る演出がされている。 本州と九州を歩いて横断できる人道トンネル。 |
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門司に向かう | 山口県と福岡県の県境 | ||
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門司出口から下関を眺める | |||
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門司港ホテルにチェックイン | |||
船のイメージか | 後方はレトロ展望室 | ||
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レトロ展望室からのホテル | 部屋からの展望 | 船上レストラン | |
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旧大阪商船 オレンジ色タイルと白い石の帯が調和したデザインの外観と八角形の塔屋は非常に美しい。旧大阪商船は大正六年(1917)に建てられた大阪商船門司支店を修復したもの。当時、門司港からは一ヶ月の間に台湾、中国、印度、欧州へ60隻もの客船が出航していた。大阪商船ビルはその拠点の一つとして、一階は待合室・二階はオフィスとして使われており、外国へ胸躍らせて旅立つ人々で大変賑わっていた。現在、1階は海峡ロマンホール、2階は『わたせせいぞうと海のギャラリー』と門司港アート村ギャラリー「港のマチエール」になっている。 |
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旧門司三井倶楽部 旧門司三井倶楽部は大正十年に三井物産の社交倶楽部として、門司区谷町に作られた。建物はハーフティンバー様式(木骨様式)と呼ばれるヨーロッパ伝統の木造建築工法で作られたもので、木造の骨組みの間を漆喰やレンガ、石などを使って埋めて壁が作られ、木造の骨組みがそのまま外観デザインのアクセントとなっている。内装には各部屋にマントルピース(暖炉)が配置されドア枠、窓枠、大階段の親柱などには幾何学模様のアールデコ調の飾りがされており、大正モダンを深くうかがうことができる。当時、門司港がどれほどの経済力を誇っていたのかも容易に想像できる。また、アインシュタイン博士が全国を講演をする為に来日した際に、ここ三井倶楽部に宿泊している。アインシュタイン博士は大変、門司港と三井倶楽部を気に入ったようで、福岡に宿泊した際も門司港の事ばかりしゃべられていたとのこと。アインシュタイン博士が宿泊した部屋は今も当時のまま残されている。現在の旧門司三井倶楽部は、一階がレストランやイベントホール、二階にはアインシュタインメモリアルルーム、門司出身の女流作家林芙美子の資料室がある。この建物もJR門司港駅と同じく国の重要文化財に指定されている。 |
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アインシュタイン博士が宿泊した部屋 | |||
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門司出身の女流作家林芙美子の資料室 | |||
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関門海峡らいぶ館(旧JR九州本社ビル) 関門海峡らいぶ館は、関門海峡の航路、標識、船舶などをライブ映像で確認しながら、海の安全を学んでいただくための施設。関門海峡に設置したライブ用カメラを操作し、海峡の地形や標識や船舶を見たり、また、船舶自動識別装置(AIS)により船舶の長さや行先を知ったり、電子海図で海底地形を想像したり、疑問や知りたい事があれば、すぐに海の専門家が疑問や知りたい事を教えてくれる所が関門海峡らいぶ館。 |
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門司港駅 明治二十四年に建てられた門司駅(現在の門司港駅)は、大正三年に場所を二百メートルほど移し、現在の場所に立て替えられた。ネオ・ルネッサンス調の木造建築で、ドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルの監修の下に建てられた。当時の駅のモダンさを知るにはトイレを覗いて見るといい。青銅製の手水鉢や水洗式トイレ(当時は非常に珍しい)、大理石とタイルばりの洗面所、御影石の男性用小便器などはとても重厚でモダンな作りとなっている。二階にはハイカラなみかど食堂があり、鉄道を利用する客で大変にぎわっていた。この門司港駅、駅舎としては初めて国の重要文化財に指定されている。 |
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旧貴賓室 | 関門連絡船通路跡 | ||
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門司港出征の碑 ◇「将兵を偲び 恒久平和を願う不戦の誓いを込めて」 大戦中、日本最大の兵士の送り出し港だった門司港に「門司港出征の碑」が完成し、門司区西海岸で15日除幕式があった。引き揚げ港のモニュメントは各地にあるが、出征港の記念碑は初。 門司港から戦地に向かった将兵は200万人以上。半数が未帰還だ。彼らが故国最後の風景として目に焼きつけた港だ。船の帆と係留ピットをかたどった碑は増田さんのデザイン。出港時の写真と「遠く離れた戦線に向かった多くの将兵を偲(しの)び 恒久平和を願う不戦の誓いを込めて」との碑文が刻まれている。 軍馬の水飲み場 昭和6年(1931)の満州事変勃発から第二次世界大戦までの長年にわたり、日本全国の農村から農耕馬が軍馬として徴発された。軍馬は門司港から遠い戦地へと渡って行き、その数は100万頭にも及ぶといわれているが、それらの軍馬たちは再び故国の地を踏むことはなかった。軍馬の水飲み場は、日本に別れを告げる最後の水を飲んだ場所。当時は西海岸周辺に10ヶ所の水飲み場があったが、現在ではここウォーターフロントプロムナードに残されたものだけとなった。 |
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門司港出征の碑 | 軍馬の水飲み場 | ||
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市内風景 | |||
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関門連絡船乗り場 | ブルーウィング門司 | ||
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旧門司税関 旧門司税関は明治42年(1909)に門司税関が発足したのを契機に、明治45年(1912)に煉瓦造り瓦葺平屋構造で建設されたもの。昭和初期までは、税関庁舎として使用されていた。平成六年には北九州市が赤煉瓦を特注し、建物の復元を行い、近代的なデザインとモダンなネオルネッサンス調が交わり非常に奥深い建物となった。1階は天井吹き抜けの広々としたエントランスホール、休憩室、喫茶店「レトロカフェ」、展示室、2階はギャラリーと関門海峡や門司港レトロを一望できる展望室となっている。 |
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国際友好記念図書館 中国の遼東半島にある年、大連市はかつて門司港とは国際航路で結ばれ交流が盛んであった。そして、昭和54年に両市は友好都市を締結し更なる交流を深めてきた。その友好都市締結15周年を記念し、ロシア帝国が明治三十五年(1902)大連市に建築した東清鉄道汽船事務所を、そっくり複製し建築されたもが国際友好記念図書館。ドイツ人技師が設計した特異な建築様式で作られていて、エキゾチックな外観がすばらしい。国際友好記念図書館の一階はレストラン、二階は中国・東アジアの文献を収蔵した図書館、三階は資料展示室となっている。 |
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門司港レトロ展望室 門司港レトロ展望室は、日本を代表する建築家・黒川起章氏が設計した高層マンション『レトロハイマート』の31階にある。この展望室から見る四季折々の景色は格別でその一瞬の時のパノラマは見る者を魅了する。高さ103mから関門海峡や眼下の門司港レトロの街並みも見渡せる絶景のポイント。夜景も非常にきれいで恋人たちのデートスポットとしても大変人気となっている。館内にはカフェも設置してありテーブルやカウンターでゆっくりとお茶を飲みながらくつろぐ事もできる。また、17倍率まで自由に拡大できるデジタル展望鏡などの最新設備も整っている。 |
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九州鉄道記念館 本館、車両展示場、ミニ鉄道公園の3つのエリアで構成されている。本館は1891年に建築された赤レンガ造りの初代九州鉄道本社社屋(のち鉄道院、鉄道省、国鉄が使用)を転用しており、九州鉄道の客車チブ37号をはじめ、鉄道模型(ジオラマ:演出時のナレーションは小島一慶)やヘッドマークの展示、門司港 - 門司間の疑似運転体験ができる運転シミュレーター、キッズルームなどがある。車両展示場では鉄道車両8両が保存されている。日本の鉄道の博物館では全国初であるミニ鉄道公園では、屋外に設けられた450mmゲージのレール上を走る模型鉄道車両(787系・813系・883系・885系・キハ72系)に乗車し、運転することができる。ただし実際は自動運転である。 |
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門司港駅からJR鹿児島線で小倉に向かう | |||
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JR小倉駅から歩いて小倉城に向かう。賑やかな商店街でパンとおにぎりを購入し、小倉城公園で昼食をとる。鳩とすずめが群がり、お弁当のおこぼれを食べていた。 小倉城公園までの市内風景 |
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小倉城 小倉城は13世紀中ごろ、川河口西岸にあった丘に築かれたといわれ、近世の江戸時代前後に毛利勝信が現在見られるような縄張で総石垣造の城郭を築き、細川忠興が南蛮造の天守などを建てた。本丸を中心に、南に松丸、北に北の丸、それらを囲い込むように二の丸、三の丸、外郭が配された梯郭式平城であった。建物は、野面積みの石垣の上に大天守と平の小天守1基、平櫓117、二重櫓16、櫓門12、狭間3271を配していた。城下は、城の東を流れる紫川を天然の堀として活用し城内に町を取り込んだ総構えを採っていた。現在、一部の石垣・堀が残り、天守・櫓・庭園と大名屋敷が再建されている。 |
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松本清張記念館 清張死没を受け、生前の功績を称え後世に語り継ぐことを目的として、清張の郷里である小倉北区に記念館を建設することを決定。小倉城址域の南西端の一角に1998年(平成10年)8月4日開館。館内では、作家としての清張の業績について、映像や展示物などで紹介している。なかでも、東京都杉並区高井戸の自宅の外観をはじめ、遺族から寄贈を受け、書斎や書庫・応接間を清張が亡くなった当時の状態で忠実に再現した展示室が目玉の一つである。また、オリジナルドキュメンタリー映像「日本の黒い霧 - 遙かな照射」の上映も行なっている。他に、随時実施される企画展のほか、講演会などのイベントも開催されている。館内撮影禁止。 |
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市内風景 | |||
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水環境館 水環境館は、北九州市の魅力的なまちづくり事業「マイタウン・マイリバー整備事業」の中核施設として建設された。北九州市のシンボル河川・紫川のほとり、小倉都心の中心にあり、水と人との新しい交流の場となっている。ここでは「集い・学ぶ・憩う」をキーワードに人間の生活に深く関わり、多くの恵みと発展をもたらした川と人との歴史を自由に学び、体験できる。また、紫川の豊かな自然に触れるための生物の展示や、コンピューターや映像を使った情報コーナー、イベントや展示も行っている。 |
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