K.シュターミッツ/フルート協奏曲ト長調 作品29

 カール・シユターミッツ(1745〜1801)は、チェコの出身で、主にドイツのマンハイムで活躍した作曲家で、お父さんや弟のみならず親族の多くが音楽家という環境で育ち、古典派様式の作品を数多く作曲しました。 協奏曲も非常に多く、いろいろな楽器の為のものを作曲しており、特にヴィオラやクラリネットなど、その楽器をめざす人々にとっては、大切なレパートリーになっています。 フルートの為にも7曲の協奏曲が残されており、かのモーツァルトがこの楽器が大嫌いで、お金のためにしぷしぷ2曲の協奏曲を書いた(うち1曲はオーボエ協奏曲をそのまま転用しただけ)のとは、好対象ですね。 
 今宵演奏されるト長調(第1番と呼ばれる事もあります)は、その中でも最も個性的であるといわれ、今日でもしばしばプログラムに取りあげられています。 シュターミッツ特有の古典的な構築性・風格を、今宵のフルートのお客様・高木さんは、きっと体ごと見事に表現してくれることでしょう。

           (第4 回定期演奏会プログラムより)

ハイドン:チェロ協嚢曲第1番ハ長調

本年 (1982年)はハイドンの生誕250年にあたり、世界各地で彼の作品が上演され、また従来埋もれていた曲の発掘が行われようとしています。 このハ長調のチェロ協奏曲も、作曲後約200年を経た1961年に、プラハで発見されたもので、以後世界中のチェロ奏者たちの重要なレパートり一となりました。 曲は若々しい活気に溢れた内容を持ち、技巧的にも非常に多彩かつ高度なものをもっています。 なお、オリジナルはオーボエ、ホルン各2本が加わっていますが、 本日は弦楽伴奏のみで演奏いたします。

           (第2回定期演奏会プログラムより)

モ一ツアルト/ディヴェルティメント第3番へ長調 K.138

 モーツァルトは16歳の時、ザルツブルグで3曲の弦楽四部からなる嬉遊曲を作曲しました。 しかし通常嬉遊曲とはセレナードと同様多楽章からなり、その中にメヌエットを2つ含むのが通例になっていることを考えると、この3曲は嬉遊曲というよリは、むしろシンフォニアと呼んだほうが、あてはまっているようです。 ところで、弦楽合奏のみならず音楽を志す者全てにとって、モーツァルトを“商売になるように演奏する”のは至難の技だといわれています。 それはモーツァルトの音楽には、演奏者の音楽性にまかされる部分が、非常に多いというところから来ているからだといわれるのですが、前回の「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」にひき続き、今回この曲をとりあげたパストラーレの意欲を、少しでもくみとっていただければ幸いです。
           (第2回定期演奏会プログラムより)

モ一ツァルト 3つのチェンバロ協奏曲 K.107

この曲はモーツァルトのオリジナルではなく、彼より21才年上のョハン・クリスティアン・バッハ(大パッハの息子)の3曲のクラヴィア・ソナタを1765年、モーツァルトがなんとわずか9才の時に協奏曲の形に編曲したものです。 おそらくモーツァルトの父レオポルドが息子に編曲の勉強のテキストとして、クリスティアン・バッハの曲集を与えたのだろうといわれていますが、これが今だったら、たちどころに著作権協会から、きついおしかりと、罰金の請求書がくるところです。 昔はのんびりしていたのですね。
           (第1 回定期演奏会プログラムより)

モーツァルト/アイネ・クライネ・ナハトムジーク ト長調 K.525

 遠くはパイプをくゆらす父のひざの上で、また、テレビの名曲アルバムやCMで、また失意の浪人時代、名曲喫茶のかたすみで、ひとりコーヒーを飲みながら・・・・いろいろな場所で、いろいろな時にふと耳にし、感動し、そして思い出としてその頃の出来事とむすびついてゆく・・・・それが名曲といわれる音楽なのでしょう。
 1787年8月、ウィーンでこの不滅の名曲は生まれました。 弦楽四部のみの編成によるこの曲は、しかし交響曲にも匹敵する、充実・完成度を持っています。 今宵の演奏が、ご来場いただいたお客様の心のかたすみに名曲として残ることを祈りたいと思います。
                    (第1回定期演奏会プログラムより)


 今年(1991年)は、モーツァルト(1756−1791)没後200年ということで、世界的に彼の曲が注目を集め、数多く演奏されています。 数年前、映画「アマデウス」によってもすっかりおなじみになった、そのモーツァルトの、おそらくもっともよく知られている曲が、この「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」ではないでしょうか。 この曲は、1787年(モーツァルト・31才)の夏に作曲されました。 当時モーツァルトは歌劇「ドン・ジョバンニ」の作曲などで多忙をきわめ、また妻コンスタンツェとの間に多くの子供をもうけるなどで、生活も困窮の度を深め、それは徐々に彼の健康をもおぴやかしていったのでした。 そうした状況の中で、「弦楽のための交響曲」ともいうベき充実した内容をもつ、この傑作を生み出した彼のすばらしい才能に、私たちはただ感嘆の念をいだくばかりです。

 アレグロ 〜 ロマンツェ 〜 メヌエット 〜 ロンド

                    (第11回定期演奏会プログラムより)
モーツァルト/アダージョとフーガ ハ短調 K.546

 通の (ちょっと暗い) モーツァルト・ファンなら「フリーメーソンのための葬送音楽」と共に真っ先に名前をあげる曲!・・・しかし一般の音楽ファンにとっては、あの明るくさわやかなモーツァルトのイメージを見事にぶち壊してくれる、恐ろしい曲・・・。
 それがこの「アダージョとフーガ」です。 パストラーレ合奏団では、実は5年前にも
この電気文化会館で、指揮も同じ松尾葉子さんでこの曲を演奏した事がありました。
その時この曲のあまりの暗さと、また演奏するうえでの難しさゆえに、団員からずいぶん
文句を言われたものでした。( なにを隠そう「この曲はいいよ!」と提案したのは、他な
らぬこの私だったのです。) もう二度と演奏することもないだろう・・と思っていたこの曲が、今回の「室内オーケストラ・シリーズ」の統一テーマ曲になるとは・・・・!!
 なおこの曲は有名な「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の翌年に書かれました。
           
                    (第16 回定期演奏会プログラムより)


モーツァルト/ディヴェルティメント第1番ニ長調 K.136


 弦楽合奏をやったことのある人なら、誰でも一度は奏いたことのある曲、また最近はテレビのコマーシャルなどでもよく聴かれる、名曲中の名曲。 モーツァルト(1756〜91)はこの曲を、なんと16オの時に完成しました。 おニャン子アイドルやギンギン・ロックに狂つている現代日本の同年代の若者たちに、この感性がカケラでもあったらなあ・・・・余談、余談。
 この曲を書いた頃のモーツァルトは、2回目のイタリア旅行から帰ったぱかりで、この時期の彼の作品には明るく楽しいイタリア音楽や、先輩ミヒヤエル・ハイドン(∃ゼフ=ハイドンの弟)の影響が強く表れれていると言われています。 「デイヴェルティメント」は日本語にすると「喜遊曲」と訳されますが、おそらく宮廷のサロンや、夕ペの庭囲等で演奏される為につくられたものであううと思れれます。
 曲は明るく軽快なリズムに乗った第1楽章アレグロ、そして幸福感に満ちた美しい第2楽章アンダンテ(こういう曲を、寝つかない赤ちやんに聴かせてあげるといいですよ ! )、そして、まるで「じやんけん・ぽん、あいこで・しょ」といっているような出だしの、生き生きした第3楽章プレストの、「速い 〜 ゆっくり〜 速い」の典型的なイタリア序曲風の形式からなっています。

                    (第6回定期演奏会プログラムより)


モ一ツァルト/ディヴェルティメント変ロ長調 K137

 モーツァルト(1756〜91)の弦楽のための3曲のディヴュルティメント(喜遊曲)は、弦楽合奏を志す人々にとって、大切なレパートリーのひとつです。(またもや毎度おなじみの、解説文のパターンです)これらの曲は1772年、ザルツブルクで、なんとモーッァルト16才の時に書かれました。 最もポピュラーな第1番、それに第3番はすでに過去のパストラーレの定期でとりあげられています。 なぜこの第2番変ロ長調が最後になったか・・・というと、やはりこの曲が、3曲の中ではいちばんジミだからです。(ジミとかクライ曲をパストラーレの人たちは最も嫌うようです・・・ホントかな?)
曲は、他の2曲がイタリア序曲形式の急・緩・急であるのに対し、緩・急・急の楽章配列である点がユニークな特色です。 
第1楽章の冒頭、これが16才の少年の書く主題でしょうか? なんともいえない憂愁さにみちています。 しかしロマンティックな美しい楽章です。 第2楽章は、まるで爆発するような、少年モーツァルトらしい生き生きとした主題ではじまります。 またこの中間部の主題も、大そう魅力的です。 第3楽章は、スタッカートのきいたリズミカルな主題が印象的で、たいそう軽快な楽しいフィナーレです。
                    (第8回定期演奏会プログラムより)



モ一ツアルト/セレナード第6番ニ長調  K239「セレナータ・ノットゥルナ」

 「セレナード」とは、日本語では「小夜曲」と訳されていますが、もっとくわしく辞書をひいてみると「愛情や尊敬をさざげる人の為に、その人の住む家の窓辺で演奏された、一種の野外昔楽」となっています。 モーツァル (1756〜91)は、セレナードと題された作品を全部で13曲残していますが、その中で「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」と共に最も有名なのが、この「セレナータ・ノットゥルナ」です。 この曲の特色は、「2つの小オ一ケストラの為の」と題されているように、2つのヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバスのソリスト群を、トウッティ(合奏)の弦とティンパニーが囲む形をとっていることです。この2 つのグループが交互に、または一緒に演奏する様は、バロックのコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)の形式を想起させますが、ティンパニーの独創的な便用法等、随所にモーツァルトの才能のひらめきを感じさせます。 ソリスト群の4人の編成は、古くからのドイツのコントルダンスのかたちをとっており、その素朴な音色をティンパニーを加えた弦が暖かく包む、その響きの妙を充分ご堪能いただきたいと思います。
                    (第5回定期演奏会プログラムより)



ロッシー二/弦楽の為のソナタ第1番ト長調


 ロッシー二 (1792−1868)の「弦楽の為のソナタ」(全6曲)は、もともとは弦楽四重奏の形で作曲されました。 ここで、私達は2つの興味深い事実を知ることになります。 といいますのは、これらの曲は通常の弦楽四重奏の形(ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ)から、ヴィオラをクビにして、かわりにコントラバスを入れている事、それにこれらの曲が、なんとロッシーニが12才の時に作曲された、ということです。 彼は当時、正規の音楽教育を殆ど受けておらず、家族の間で楽しまれていた室内楽のヴィオラを、みようみまねで演奏していたのです。 その時の仲間の1人、アマチュアのコントラバス奏者トりオッシの為に、これらの曲が作曲されました。 これらの曲の存在が、広く知られるようになったのは、20世紀以降になってからで、そのユニーグな編成から、現在では弦楽四重奏よりも、弦楽合奏によって演奏されることが多いようです。 曲は、ちょっと聴くとわかる通り、音段低い方で埋もれている感じのコントラバスがしやしやり出て、目立った活躍をします。 しかし、そのわりにコントラバスのパートは、技術的にはやさしく書いてあり、コントラバスが入った分、高い音を弾かなくてはならなくなったチェロが、ヒーヒー苦労する様子や、ロッシーニ独特の自由奔放な旋律、カンタービレの魅力を要求されるヴァイオリン族の苦労をひそかに楽しむ方が、この曲を堪能できるかもしれませんね。

                    (第5回定期演奏会プログラムより)