小林研一郎/「フィンランディア」の思い出


 あれはもう30年ほども前だろうか。おそらく70年代の初め頃のことだったと思う。
  (このように書くと、筆者の歳がバレてしまいますね・・・)
 当時の我が名古屋フィルは「音楽教室」がその活動のなかで大きなウエイトを占め、私たちは毎日のように愛知県下を中心とした小・中学校での出張演奏に明け暮れていた。

 ある三河地方の小学校での音楽教室のことである。我々のオーケストラの指揮台に、それまで来演したことのない新人指揮者が現れた。彼は背が高く、長髪がとてもカッコ良かった。

 演奏会場の体育館は開演前から子供たちの歓声と人いきれで、それこそむせ返るようだった。
オーケストラの演奏が始まった瞬間こそ、子供たちは「オオッ」という感じで、耳をそばだててくれたのだが、やがて直ぐに飽きてしまったのか、次第にオシャベリが大きくなり、ついには体育館全体に拡がって行った。こんな場合私たちオケ団員は「毎度のことさ・・・」と割り切って、ほとんど義務的に演奏をつづけるのが常である。ところが突然新人指揮者のタクトが止まり、彼は下を向いてしまったのである。
 当然演奏も中断し、驚いている私たちを尻目に彼はゆっくりと振り向くと、子供たちに静かに語り始めた。
 「皆さん。私たちは今日皆さんに少しでも良い音楽を聴いていただこうと、朝早くから長い時間電車に乗ってこの小学校までやって来ました。でも、皆さんが私たちの演奏を聴いてくれず、今みたいにおしゃべりを続けていると、私たちはこれ以上演奏することが出来ないので、演奏会をやめて帰らなければなりません」
 新人指揮者は、本当に悲しそうな顔で訴えた。
するとどうだろう、あれほど騒々しかった体育館の中が、一瞬のうちにシーンと静まり返ったのである。

 演奏は再開され、やがて最後の曲目・シベリウスの「フィンランディア」一曲を残すのみとなった。
「皆さん、この曲はフィンランドの人々が宝物のように大切にしている曲です。どうかこの曲の "こころ" を感じとってください」 もうずいぶん昔のことなのであまり記憶は定かではないが、「フィンランディア」の演奏に先立ち、新人指揮者は多分このような事を言ったと思う。
 重々しいブラスとコントラバスの響きで「フィンランディア」は始まる。
私たちはもうこの曲を何度となく演奏しているので、お手のもののはずだった。
 でも、この日は何かが違った。
指揮台の上の長髪の奥に光る鋭い眼差しは「もっと、もっと ! 」と訴えているかのように物凄いオーラを放ち、私たちプレイヤーのエネルギーを求めて来るのだ。
 やがて曲は、圧政から解放された民衆の歓喜の主題に突入し、ついにフィンランドの国歌にもなっている、あの美しい主題が木管群に現れる。このテーマは中低弦のトレモロに乗ってファースト・ヴァイオリンによりくり返されるのだが、なんと新人指揮者は楽譜上ではメゾ・フォルテと指定されているこの部分 (練習番号L)を、ほとんどピアニッシモに落としてしまったのである。
 (ええっ、・・・聞いてないぞ)
練習の時とまったく違う彼のタクトに、オーケストラは一瞬うろたえた。しかし・・・そのピアニッシモの効果は驚くべきものだった。30年を経た今も、私はその時の感動を鮮やかに思い出す。歓びの主題をピアニッシモで奏する事により、フォルテで演奏する何倍もの感動が心の奥底から、ふつふつと沸き上がって来たのである。

 私はこの演奏に携わって以来、シベリウスをはじめとする北欧音楽に強く惹かれるようになり、遂にそれを終生の友とすることが出来た。またこの新人指揮者と今後、一度でも多く演奏したいと心から願うようになった。

 この長髪の名もない新人指揮者・・・彼こそが、今世界中で数多くの聴衆を魅了してやまない小林研一郎その人だったのだ。
 
                   岡崎 隆 (2003.5.28)