畑中良輔指揮による「水のいのち」


 2日前の新聞に興味深い記事が載っていた。慶応ワグネルソサエティ、早稲田、関西学院など大学男声合唱団の東海地区OBらで構成されている合唱団「グランフォニック」が、11月11日に高田三郎「水のいのち」を取り上げるのだが、その指揮に声楽界の重鎮・畑中良輔氏を招く、というのである。

 私はこれまでずっと畑中氏に是非一度お会いし、お尋ねしたいことがあった。それは氏がビクターの「橋本國彦歌曲集」の解説に書いていた、橋本の歌曲「舞」をコッポラが管弦楽伴奏版に編曲した譜面と音源についてである。私はさっそく記事に書かれていた「グランフォニック」の連絡先に電話し、演奏会の前の練習の際に是非畑中氏と面会させて欲しい、と頼んだ。合唱団は多忙なスケジュールにも拘わらず、私の勝手な申し出をすぐに快諾してくれた。
 そして今日、私は「水のいのち」の練習に出かけて来た。 

 去年、南山学園が中心となって開催された「ひたすらないのち/高田三郎作品コンサート」で「水のいのち」の管弦楽伴奏版の浄書譜を作らせていただいて以来、私はこれまで実演やCDで数多くの「水のいのち」を聴いて来た。CDでは作曲者自身の指揮による豊中混声のたいそう厳粛な演奏、実演では管弦楽伴奏版初演の指揮を取った小松一彦氏の造型のしっかりとしたダイナミックな演奏、そして仙台まで駆け付けて聴いた今井邦男氏による女声合唱の端正で美しい演奏などなど。しかし今回は男声合唱である。一体どんな「水のいのち」になるのだろうかという期待に、私の胸は膨らんでいた。何を隠そう私は今でこそオーケストラ奏者を生業としているが、学生時代に清水脩の「山に祈る」に感動し、合唱がやってみたくてメンネルコールの部室の前まで行った経験がある。もしあの時扉を開いていたら、ひょっとしたら今日の「グランフォニック」の方々と一緒に「水のいのち」を歌っていたかも知れないのだ。思えば人生って、本当にいろいろなところに分かれ道があるものだ。事実、合唱のメンバーは私と同じ団塊の世代と思われる方が中心のようであった。

 約束時間の2時に練習会場の音楽プラザに伺うと、まだ畑中氏は到着されておらず、合唱団の指揮者と思われる方が練習をされていた。しばらくして突然、ドスの効いたバリトンが練習場いっぱいに響き渡った。

「おい、誰か出が遅れてるぞっ、遅れるな! 」

 見ると、畑中氏が練習場の入口に立っていた。氏は「ジロリ」と私を一瞥すると、ゆっくり、ゆっくりと指揮台に向かった。そのベランメエ調と迫力とに、私は一瞬大橋巨泉を思い出した。

 畑中氏がタクトをとったとたん、合唱の響きがガラッと変った。

「誰か「ベェー」と、子供みたいな歌い方してる人がいるぞ。そこは「ヴェ」だ」
「動くな!! ここは決して動いてはダメだ」
「のぼれ、のぼりゆけ・・・その情景を思い浮かべて」
「おおー・・・ここは一番いい声を出して!」


 時には音楽と全く関係のない話題を出して団員の笑いを誘ったり、またここという時には、これ以上ないほど大きな声をだして注意したり・・・とにかくエネルギッシュで流れのある、演奏者の集中を途切れさせない素晴らしい練習だ。畑中氏は本当に80歳を超えているのだろうか? 私はふと疑ってしまった。氏の「水のいのち」は常に動的で、歌詞のひとつひとつに説得力を持たせようとするアプローチのように見えた。特筆すべきは終曲「海よ」の、ピアノによる最終和音に移る寸前に、ふたたび第1曲「雨」にピアニッシモで戻り、静かに終る事だ。「畑中さんはね、最初に戻るのよ!! この曲は「輪廻」なのだから、と仰って・・・」昨日電話で高田留奈子さんから聞いた、そのお言葉を私はふと思い出した。何でも畑中氏は高田氏の生前、「このように演奏したいが・・・」とお伺いをし、「君に限って許す」と了承を得られたという。この解釈は、私もなかなか素晴らしいアイデァだと思った。

 さて練習の合間の限られた時間に、私は畑中氏といろいろお話をさせていただくことが出来た。「水のいのち」の管弦楽伴奏版 (トーマス・マイヤー・フィービッヒ編曲) が昨年名古屋で初演されたことを氏はご存知でなく、私が持参した浄書譜を興味深そうに見ておられた。同席していたピアニスト・三浦洋一氏も「なかなか素敵な編曲みたいですね」と言って下さった。畑中氏に、昨年のコンサートで高田三郎氏の作品ばかり3時間も演奏されたというお話をすると、氏は即座に「じゃ当然「山形民謡」も演奏したんだろ?」と聞かれた。そう、高田三郎氏初期の管弦楽の傑作「山形民謡によるバラード」の事である。「ええ、演奏しましたよ。でも今回はオルガンでした」「オルガン? そりゃ駄目だ。やはりあれはオーケストラじゃなくては。あのイングリッシュ・ホルンの美しい旋律・・・」
 そこで私は昨年のコンサートのプログラムを氏にお渡しし、その他に私が浄書した作品の譜面もお送りすることを約束した。「明日も東京で「水のいのち」なんだよ。もう、指揮してて「今、どこの団体とやってるんだっけ?」と思ってしまう位さ」

 練習終了後、私は橋本の歌曲「舞」のコッポラ管弦楽伴奏版についての質問も無事終え、畑中氏は直ちに、あたふたと東京にトンボ帰りされて行った。
 今日の練習に立ち会わせていただいて、私は何かとても大切な事を学んだような気がする。そう、指揮者とはただ音程やリズムの交通整理をするマシーンなどでは決して無く、今演奏する曲がどのような音楽なのか、どのように演奏したらその音楽の神髄を聴き手に伝える事が出来るのかという点を、演奏者に具体的に伝え得る者が真の指揮者なのだ、という事を氏に学んだのである。かつて巨匠・朝比奈隆氏が「指揮者に最も求められるものは何ですか?」と訊ねられた時、「そうですな・・・人間性ですかな」と答えたという。畑中氏は本当に人間的魅力に溢れた方であった。今オーケストラ界の指揮者で、彼と匹敵しうるほど人間味に溢れた指揮者が、果たして何人いるだろう?・・・そんな事まで、私は考え至らされたのだった。
                              (2006.10.21  岡崎 隆)